おはようございます。
今日はザ・フォーク・クルセイダーズの「帰って来たヨッパライ」です。
オリコン史上、最初のミリオン・セラーと言われるこの曲は、もともとは京都の大学生たちが作った自主制作盤でした。
フォーク・グループを結成し活動していた彼らは大学3年生になり、就職の準備に入るメンバーもいることもあって解散を決めます。一般人が音楽でプロになろうという発想自体なかった時代だったんですね。そして、記念に自分たちでレコードを作ろうということになり、そのためにメンバーの北山修が父親から20万円借りたそうです。
アルバムはこれまでのライヴ音源を集めたものにするつもりでしたが、せっかくだからオリジナルも1曲入れようということで追加で録音することにします。
北山の家にオープンリールのカセットレコーダーがあって、いろいろ試していくうちに倍速再生すると声がおもしろくなるからそれでやってみよう、ということになり、自分たちのオリジナル曲の中から”テープ早回し”が合いそうな曲を選びました。それが、この「帰ってきたヨッパライ」だったのです。
もともとはアメリカのフォーク・バラッド(物語性の強い叙述的な歌のスタイル)を模倣して日本風にしたようなものだったそうです。
そして、この曲を作曲をし、倍速再生のアイディアを出し、声が面白くてかつ歌詞もちゃんと聞こえるようなバランスを何度も何度も試行錯誤し続けたメンバー、それが加藤和彦でした。
そしてアルバムが無事出来上がりましたが、300枚中100枚しか売れず、自宅に積まれたレコードをなんとかするべく、北山が関西の放送局にせっせと配って売り込みをかけたそうです。
すると、ラジオ関西などでオンエアされて評判になってゆき、ニッポン放送の”オールナイト・ニッポン”でも集中的にオンエアされることで全国区に広がっていき、メジャーレーベルからあらためてリリースされると最終的に270万枚売れたと言います。
この曲が大ヒットしたのは、声が2倍速で面白かったから、だけ、じゃもちろんないはずです。
酔っ払い運転で死んだ主人公が天国でも飲んだくれてあきれた神様から追放されてこの世に帰って来た、というストーリーの面白さもありますし、
”おらは死んじまっただ~”と繰り返しが続くあとで、馴染みのある”天国よいとこ一度はおいで”とポップにメロディアスになるという曲の構成もほんとよくできています。
そして、なにより”ディテイル”まで凝っていますよね。最後、お経に続けてビートルズのハードデイズ・ナイトの一節が出てきたり、なぜか「エリーゼのために」がでてきます(これは加藤がピアノで弾ける曲がこれしかなかったかららしいですが、、)。
ちなみに間奏のピアノをホンキートンク風にしたいために、普通のピアノのキャプスタン(鍵盤と弦を鳴らすアクション部との接点にあたるボタン)にテープを巻いたそうです。
この実験的な姿勢は、ビートルズの「リボルバー」に影響を受けたと彼が語っているものと、この当時はビートルズはあまり聴かなかったと語っているインタビューがあって、判然としないのですが、とにかく誰もやっていないことを自分がやりたいという強い願望が、ずっと彼の中にはあってそれが創作的燃料になっていたようです。
”ひたすら僕は、ビートルズというよりも、この世にないような音を再現したいと”
(「エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る」牧村憲一監修 加藤和彦/前田祥丈 著)
ともかく、客観的に見たら大学生の”お遊び”に見えるようなことも、このあと日本のポップミュージックを大きな影響を与えることになる加藤和彦という男にかかると、一味も二味も違う出来栄えになるわけです。センスも能力も、最初から尋常じゃなかったということなのでしょう。
当時は全くプロになるつもりはなかった、と加藤は語っているので、この曲が大ヒットしていなかったら「あの素晴しい愛をもう一度」や「悲しくてやりきれない」や「不思議なピーチパイ」なども生まれていなかったのかもしれないわけですね。
今では、ザ・フォーク・クルセイダーズというと、日本、韓国、北朝鮮3国の歴史とつながる楽曲「イムジン河」の方が有名になっていて、古い時代のコミック・ソングとして片づけられかねない「帰って来たヨッパライ」ですが、日本のポップミュージックのパイオニア、加藤和彦のセンスを見直すためにも、あらためて評価するべきだとボクは思っています。
*コメント欄に読者の方からこの曲の追加情報をいただいていますので、そちらもぜひチェックしてみてください。
*追記(2023年10月)
WOWWOWのドラマ『オレは死んじまったゼ!』の主題歌として、「帰ってきたヨッパライ」が長谷川白紙(はせがわはくし)にカバーされました。こちらがそのMVです。
*加藤和彦の作品3曲