まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「帰って来たヨッパライ」ザ・フォーク・クルセイダーズ(1967)

 おはようございます。

 今日は「帰って来たヨッパライ」。

 このオリコン史上初のミリオン・セラーと言われる曲は、もともとは京都の大学生たちが作った自主制作盤でした。

 フォーク・グループを結成し活動していた彼らは大学3年生になり、就職の準備に入るメンバーもいることもあって解散を決めます。一般人が音楽でプロになろうという発想自体なかった時代だったんですね。そして、記念に自分たちでレコードを作ろうということになり、そのためにメンバーの北山修が父親から20万円借りたそうです。

 アルバムはこれまでのライヴ音源を集めたものにするつもりでしたが、せっかくだからオリジナルも1曲入れようということで追加で録音することにします。

 北山の家にオープンリールのカセットレコーダーがあって、いろいろ試していくうちに倍速再生すると声がおもしろくなるからそれでやってみようということになり、自分たちのオリジナル曲の中から”テープ早回し”が合いそうな曲を選びました。それが、この「帰ってきたヨッパライ」だったのです。

 もともとはアメリカのフォーク・バラッド(物語性の強い叙述的な歌のスタイル)を模倣して日本風にしたようなものだったそうです。

 そして、この曲を作曲をし、倍速再生のアイディアを出し、声が面白くてかつ歌詞もちゃんと聞こえるようなバランスを何度も何度も試行錯誤し続けたメンバー、それが加藤和彦でした。

 そしてアルバムが無事出来上がりましたが、300枚中100枚しか売れず、自宅に積まれたレコードをなんとかするべく、北山が関西の放送局にせっせと配って売り込みをかけたそうです。

 すると、ラジオ関西などでオンエアされて評判になってゆき、ニッポン放送の”オールナイト・ニッポン”でも集中的にオンエアされることで全国区に広がっていき、メジャーレーベルからあらためてリリースされると最終的に270万枚売れたと言います。

 

 この曲が大ヒットしたのは、声が2倍速で面白かったから、だけ、じゃもちろんないわけです。

 酔っ払い運転で死んだ主人公が天国でも飲んだくれてあきれた神様から追放されてこの世に帰って来た、というストーリーの面白さもありますし、

 ”おらは死んじまっただ~”と繰り返しが続くあとで、馴染みのある”天国よいとこ一度はおいで”とキャッチーになる曲の構成もよくできています。

 そして、なにより”ディテイル”まで凝っています。最後、お経に続けてビートルズのハードデイズ・ナイトの一節が出てきたり、なぜか「エリーゼのために」がでてきます(これは加藤がピアノで弾ける曲がこれしかなかったかららしいですが、、)。

 間奏のピアノをホンキートンク風にしたいために、普通のピアノのキャプスタン(鍵盤と弦を鳴らすアクション部との接点にあたるボタン)にテープを巻いたそうです。

 

 またこの実験的な姿勢は、ビートルズの「リボルバー」に影響を受けたと彼が語っているものと、この当時はビートルズはあまり聴かなかったと語っているインタビューがあって、判然としないのですが、とにかく誰もやっていないことを自分がやりたいという強い願望が、ずっと彼の中にはあってそれが創作的燃料になっていたようです。

 ”ひたすら僕は、ビートルズというよりも、この世にないような音を再現したいと”

(「エゴ 加藤和彦加藤和彦を語る」牧村憲一監修 加藤和彦/前田祥丈 著)

 ともかく、客観的に見たら大学生の”お遊び”に見えることも、このあと日本のポップミュージックを大きな影響を与えることになる男、加藤和彦にかかると、センスも能力も、当初から尋常じゃなかったということなのでしょう。

 

 当時は全くプロになるつもりはなかった、と加藤は語っていて、この曲が大ヒットしていなかったら「あの素晴しい愛をもう一度」や「悲しくてやりきれない」や「不思議なピーチパイ」なども生まれていなかったのかもしれないわけですね。

 今では、古い時代のコミック・ソングとして片づけられかねない「帰って来たヨッパライ」ですが、加藤和彦のセンスがすでに発揮されていたものとして、あらためて評価してみてもいいように思います。

 

  


帰って来たヨッパライ

 

帰って来たヨッパライ

帰って来たヨッパライ