まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「サウンド・オブ・サイレンス(The Sounds of Silence)」サイモン&ガーファンクル(1966)

 おはようございます。

 今日もサイモン&ガーファンクル。ずっとチャンスを掴みあぐねていた彼らの突破口となった曲「サウンド・オブ・サイレンス」です。

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Hello darkness, my old friend
I've come to talk with you again
Because a vision softly creeping
Left its seeds while I was sleeping
And the vision that was planted in my brain
Still remains
Within the sound of silence

In restless dreams I walked alone
Narrow streets of cobblestone
'Neath the halo of a street lamp
I turned my collar to the cold and damp


When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
That split the night
And touched the sound of silence

And in the naked light I saw
Ten thousand people, maybe more
People talking without speaking
People hearing without listening
People writing songs that voices never share
No one dared
Disturb the sound of silence

"Fools" said I, "You do not know
Silence like a cancer grows
Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you"
But my words like silent raindrops fell
And echoed in the wells of silence

And the people bowed and prayed
To the neon god they made
And the sign flashed out its warning
In the words that it was forming

And the sign said, "The words of the prophets
Are written on the subway walls
And tenement halls
And whispered in the sounds of silence"

 

Writer/s: Paul Simon

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   ” ハロー、暗闇  僕の古い友だち

           また君に話しに来てしまったよ

      幻がそっと忍び込んで来て

   僕が眠っている間に その種を置いていってしまったんだ

 

   そして、その幻の種は僕の脳に植えられたまま

   今も残っている   音のない音の中で

 

   落ち着かない夢の中で僕は歩いていた

   狭い石畳の通りをひとり

            街灯の光の輪の下で 冷気と湿気を感じて僕は襟を立てた

 

           夜を切り裂くネオンライトの閃光が

   僕の目を刺した時

   静寂という音に触れていた

 

   剥き出しになった光の中で僕は見た

   一万人、たぶんそれ以上の人々を

      声を出さずにしゃべりあっている人々

   耳を傾けることなく聞いている人々

 

   声に出して歌われることのない歌を書く人々

   だから、誰もあえて破ろうとはしない

   沈黙という音を

 

   ”バカ!”僕は言った”君たちは知らないのか

   静寂は癌のように広がってゆくんだ

   僕が教える言葉を聞くんだ

   僕がのばしたこの腕を取るんだ

    

   だけど、僕の言葉は音もなく落ちる雨粒のように

   静寂という井戸の中でこだまするだけ

 

   人々は頭を下げ祈った

   自らが作り出したネオンの神に

            そして、それは警告を閃かせる

    ネオンサインが形作った文字によって

 

    そのネオンサインはこう書かれている

   「予言者の言葉は 地下鉄の壁や 安いアパートの廊下に書かれている」

    そして、それは静寂という音の中でささやいた”      

                                                                                              (拙訳)

 

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「サウンド・オブ・サイレンス」の楽譜はこちら

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 ポール・サイモンは音楽キャリアの初めの頃は、ヒット・ソングライターを目指し、自身でもインディーズでアーティスト活動をしながらティーン向けのポップスを書き続けていました。しかし、全く芽が出ませんでした。

 この「サウンド・オブ・サイレンス」を書き始める1963年の初頭はまだ、こういう曲をやっていたのです。(このTico&The TriumphsというグループののTicoはポールだったそうです)


Tico & the Triumphs - Cards of Love

 

  しかし、その年の2月にリリースされたボブ・ディランの「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」を聴いて彼は、開眼します。大学で文学や詩に没頭していた彼は、それを音楽で表現する術を見出したのです。ティーン向けのポップでは表現できないソングライティングだったわけです。

 

「もうポップ・ヒットを書くことに関心はなかったし、どっちみちそれは無理だった。でも本気で魅力的だと思える音楽の新しい世界が見つかったんだ」

                   (「ポールサイモン 音楽と人生を語る」)

  

 昔から彼が好んで曲作りをする場所は”浴室”だったそうです。少しスタジオの”エコー・チェンバー(エコーがよく響く部屋。フィル・スペクターは広いエコー・チェンバーで録音し”ウォール・オブ・サウンド”を築き上げました)”みたいな響きが気持ちよかったそうです。誰でも、お風呂で鼻歌を歌うと上手に聴こえていい気分になりますよね。

 

 彼はギターを持って浴室にこもり、電気を消し真っ暗にし、音楽に集中したそうです。時おり蛇口をひねり水の流れる心地よい音を聴きながら。何日も何日も彼は浴室にこもり音楽と対峙したのだそうです。

 

 その日々の途中に、プレスリーらとともに彼の生涯のアイドルの一人だった、ジョン・F・ケネディーが暗殺されるという事件があり、大きなショックを受けたそうです。そして、その後また浴室に通い続けていく中でふと浮かんだのが、

 

 "Hello Darkness My Old friend(やあ、暗闇 なつかしい友達よ)"というフレーズで、その後、曲の骨格が出来上がっていったのだそうです。

 

 ポールはこんなテーマにしようとか、こういう曲にしようとかいう考えは全くなかったのだそうです。無心に毎日音楽と自分に対峙したわけです。ただ、それは、曲が自分に降りてくるのを待っていたということではなく、今まで膨大な数の曲を書き続けて来た経験と、ボブ・ディランをはじめとするフォーク・ミュージックの影響と、文学と詩を学んで来たこと、そしてケネディがなくなったことへの思いが、ポール自身の中で”発酵する”のにそれだけの時間が必要だったんじゃないかと僕は思います。

 曲が浮かんだ時には、今まで書いたのよりはいい曲かな、くらいの感覚だったそうです。

 作詞を仕上げるのにもう数ヶ月かかったようで、その間に彼はイギリスに行き未完成のまま知り合いに聴かせたりしたそうです。

 また、彼はこの時期にアート・ガーファンクルと再会し音楽活動を再開したレパートリーの中にこの曲も入っていました。

 そして、彼らはレコード契約を勝ち取り、1964年発売のアルバム「水曜の朝、午前3時」にこの曲も収録されていました。

 

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 しかし、残念ながらレコードは不発に終わり、失意のままポールはイギリスに向かいます。

 そして、ロンドンでレコーディングしたアルバム「ソング・ブック」にポールが歌う「サウンド・オブ・サイレンス」も収録されています。

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 そこで思わぬ展開が待っていました。

 彼らのアルバムのプロデューサーであるトム・ウィルソンにレコード会社の宣伝マンから「サウンド・オブ・サイレンス」のリクエストがあるラジオ局に殺到しているというニュースが届きます。

 

 シングル発売を考えた彼はあるアイディアを思いつきます。彼はボブ・ディランのプロデューサーであり、ちょうどこの時期「Like A Rolling Stone」でディランの”ロック化”を図り、同じレコード会社にはディランの曲を独自のバンド・サウンドにして大ヒットさせたザ・バーズがいました。時代は”フォーク”から”フォーク・ロック”に移行していたわけです。 


Bob Dylan - Like a Rolling Stone (Audio)


The Byrds - Mr. Tambourine Man (Audio)

 

 トムは、ポールたちの許可ももらわずにミュージシャンを集めて、元々のヴァージョンにバンド・アレンジを加えたのです。

 そして、その仕上がりにポールはショックを受けたそうですが、この曲がヒットチャートを駆け上がっていくと納得したようです。

 

 その頃、ポールは一人でヨーロッパで演奏活動をしていて、アートは大学に戻っていたそうですが、この曲の大ヒットを受けて、再び集まり急いででアルバムを作りま始めたそうです。

 

 レコーディングにはグレン・キャンベルをはじめとする”レッキング・クルー”が集められました。

 

 ちなみに、ポールがせっせと演奏活動していたイギリスではサイモン&ガーファンクルのヴァージョンはヒットしませんでした。

 

   ザ・バチェラーズというアイルランド出身の男性ボーカル・グループがすかさずカバーして先にプロモーションしたからです。全英最高3位の大ヒット。この時代はアメリカのヒット曲をイギリスのアーティストがカバーしてヒットさせ、オリジナルは売れない、ということはけっこうあったみたいです。でも、ポールはよほど悔しかったのか、彼らのヴァージョンを酷評していたらしいですが。。。

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 彼は、同時代のボブ・ディランポール・マッカートニーキャロル・キングのような”ひらめき”の凄い天才とはかなり違うタイプかもしれない、と彼の評伝を読むと感じます。ポールは彼らに感服して影響もうけながらも、負けてたまるかという気持ちをたえず自分の燃料にして活動を続けたようです。

 

 6年もの間ヒット作家を目指してまったく芽が出なかったのに、フォーク・シンガーに転身したらいけると信じてのめりこめるわけですし、フォーク・シンガーになってもメッカであるグリニッジ・ヴィレッジのシーンに受け入れられないわけで、そうしたら今度はイギリスに活路を探す。執着心、諦めの悪さ、が本当にすごい。

 

 しかし、諦めずに行動を起こし続けたことが「サウンド・オブ・サイレンス」という曲を生み、トム・ウィルソンの”ロック・サウンドにアレンジする”というアイディアを呼び込んだように僕には思えます。

 

 ですから僕は、ポール・サイモン音楽史に残る”天才”だからあんな名曲が作れたんだ、という風に簡単に片付けてしまうのもどうなんだろう?って思ってしまうわけです。

 

 最後は1981年9月に行われた伝説のセントラル・パーク・コンサートの映像を。

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