おはようございます。
今日は「ロック・アラウンド・ザ・クロック」。
僕が洋楽を聴き始めた1970年代後半、この曲は”世界で最初に作られたロックンロール”とメディアで紹介されていたことを覚えていて、僕はしばらくそう信じていました。
しかし、「ロケット88」という曲が”史上初のロックンロール・レコード”に認定され1991年に”ロックの殿堂”入りを果たします。
歌っているのは黒人アーティスト、ジャッキー・ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツ。デルタ・キャッツというグループのリーダーはアイク・ターナーという人です。
Rocket 88 (Original Version) - Ike Turner/Jackie Brenston
1951年にこの曲はR&Bチャートで1位になりますが、同年にすかさずカバーした人がいます。それが、ビル・ヘイリーです。彼はビル・ヘイリー&サドルマンというグループでこの曲を演奏しました。これは白人による黒人音楽のカバーの最初期の一つと呼ばれて、当時はビルが白人であることは隠していたようです。
Rocket 88 - Bill Haley and the Saddlemen
さて、話は日本に飛びますが、戦前から戦後しばらくにかけて、今のポップスにあたるジャンルはジャズでした。
古い国語辞典ではジャズを”音楽に合わせて踊るダンスの一種”と書かれていたそうで、70年代のディスコのように、大衆が踊って楽しむ音楽だったようです。その中でもボーカルもののジャズが人気が高く、”ジャズ・ソング”と呼ばれていました。
「戦後洋楽ポピュラー史1945-1975」(三井徹 著)によると、R&B(リズム&ブルース)というジャンルが日本で紹介される際に、朝日新聞では
”ドギつい野性的なリズムをもったジャズ”
という風に表現されていたそうです。1955年のことです。当時は「ロック・アラウンド・ザ・クロック」はリズム・アンド・ブルースとして紹介され、ビル・ヘイリーを当初黒人だと思っていた人もいたそうです。
同じ年の讀賣新聞では「ロック・アンド・ロール」という言葉が登場し
”リズム・アンド・ブルースの音楽に合わせて踊る社交ダンス”
と書かれていたそうです。
「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒットして同名の映画が作られて、当時日本でも上映されたのですが「ロック・アンド・ロールー狂熱のジャズ」という邦題がつけられていたそうです。
今ではジャズとR&Bとロックンロールは、全く別のジャンルとして捉えられていますが、当初は混然としてしていたようです。そして、音楽のジャンル名なんて、あてにならないもんだなあ、とも思います。
それから、ロックンロールはダンスミュージックとして紹介されたというのも大事なところです。
ポピュラーミュージックの歴史をたどると、レコード鑑賞やカラオケブームなどさまざまな接し方がありましたが、基本的には原点はダンスミュージックで、必ずそこに立ち返る、ということを繰り返しているように思えます。
ビル・ヘイリーについて少し説明します。彼は1925年生まれで10代からカントリー・ミュージックの演奏者として活動を始め、1948年にレコードデビューしています。その中で前述のように、黒人のR&Bのカバーなどもやっていました。
この「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を彼のバンドが録音するのは1954年ですが、彼らより一足早く録音していたバンドがいます。ソニー・デイ・アンド・ヒズ・ナイツです。しかし、当時のバンドは「(人名)&彼の(バンド名)」というパターンの名前をつけるのが流行っていたんですね。
Sunny Dae & the Knights - Rock Around The Clock(March 20, 1954).wmv
ビルのヴァージョンはカバーではなく、競作だったようですが、彼らのヴァージョンのほうが大ヒットしたのは翌1955年に「暴力教室」という映画で使われたからです。
不良少年の集まる高校の教師と生徒の話ですが、当時としては相当過激な暴力シーンがあってエンセーショナルな話題を集めたそうです。そして、この曲がロックンロールは不良の若者の音楽というイメージをカッコよく植え付ける役割を果たしたわけです。
当時、ニューヨークのティーン・エイジャーで貪るようにラジオを聴いていた白人の少女として、キャロル・キングは「その曲で踊るのが楽しくてしかたなかった」と語り、同世代の黒人は違うかもしれないと前置きしながらも、
「ロックンロールの紀元前と紀元後を分割する曲だった」と語っています。
それくらいの衝撃だったわけです。
また、カントリー・ミュージックをベースに持つ白人の彼が黒人のリズム&ブルースを演奏しているわけで、「カントリー×R&B」というミックスがロックンロールだという解釈が今では定着しています。
考えてみると、ディスコもEDMも黒人音楽を白人が演奏することによって大ブレイクした”ダンス・ミュージック”ということで、ロックンロールと同じ構造になっていることに気づきます(ビー・ジーズ、ジョルジオ・モロダー、デヴィッド・ゲッタ、カルヴィン・ハリス)。
ちょっと大雑把な言い方になりますが、黒人音楽を白人がわかりやすく加工する、ようは”ポップにする”という作用が、ロックンロール、ディスコ、EDMに共通して働いていたということなんだと思います。
それから、若者の音楽の象徴となった「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒットした時、実はビルはもう30歳で、若者に人気のある歌を探してとりあげるというスタンスだったらしいです。完全に”お仕事”だったわけですね。
ただ、先述のソニー・デイのヴァージョンと比べて、ビルのヴォーカルは印象的ですし、演奏もキャッチーです。
今までのキャリアによって培われた、大衆にわかりやすく演奏するという”ベテランの技”が、この曲が広く大衆に受けた隠れた要因の一つになっているんじゃないかと僕は推測しています。
Bill Haley & His Comets - Rock Around The Clock (1955) HD