おはようございます。
今日はニック・ギルダーの「ホット・チャイルド」です。
********************************************************
Danger in the shape of something wild
Stranger dressed in black she's a hungry child
No-one knows who she is or what her name is
I don't know where she came from or what her game is
Hot child in the city
Hot child in the city
Runnin' wild and lookin' pretty
Yeah
Hot child in the city
So young to be loose and on her own
Young boys they all want to take her home
When she comes downtown the boys all stop and stare
When she comes downtown she walks like she just don't care
Yeah
Hot child in the city
Hot child in the city
Runnin' wild and lookin' pretty
Hot child in the city
Come on down to my place baby, we'll talk about love
Come on down to my place baby, we'll make love
Hot child in the city. Hot child in the city
Hot child in the city runnin' wild and lookin' pretty
Hot child in the city
Hot child in the city
Hot child in the city
Hot child in the city
Hot child in the city...
********************************************************
ワイルドな姿をした危険な女
黒いドレスの見知らぬ女
彼女は飢えた子供さ
誰も彼女が誰なのか、名前も知らない
彼女がどこから来たのか、何のゲームをしているのか
僕はわからない
街の若い女の子
まだ子供みたいな女の子
自由気ままでかわいい
街の若すぎる女の子
奔放に、自分の力で生きていくには若すぎる
若いヤツらはみんな彼女を家に連れて行きたがる
彼女がダウンタウンに来ると、男子はみんな立ち止まって見つめる
彼女がダウンタウンに来ると、彼女は気にもとめないそぶりで歩く
街の若い女の子
まだ子供みたいな女の子
自由気ままでかわいい
街の若すぎる女の子
僕のところに来て、ベイビー、愛について話そうよ
俺のところに来て、 ベイビー、 愛し合おうよ
街の若い女の子
まだ子供みたいな女の子
街の若い女の子
まだ子供みたいな女の子
自由気ままでかわいい
街の若すぎる女の子
(拙訳)
********************************************************
今の時代は女性的なハイトーンの男性シンガーは多いので全然違和感はないですが、当時はやはりかなり異色な感じがしたのを覚えています。
ただ、女性っぽい声質はこういうグラム・ロックっぽい楽曲とは妙にマッチしている気がします。
ニック・ギルダーはロンドンで生まれ、カナダのバンクーバーで育ち、グラムロック・バンド”スウィーニー・トッド”のフロント・マンとしてキャリアをスタートさせ、1976年には「ロキシー・ローラー」という曲がカナダの音楽チャートで3週連続1位を獲得しています。
この曲を書いたニックとギターのジェイムス・マカロックはアメリカのレーベルから声がかかりバンドを抜けてしまいます。
大黒柱の2人が抜けたスウィーニー・トッドは、それでもバンドをなんとか存続させようとしたのですが、ニックの次の次のボーカリストに抜擢されたのが、なんとブライアン・アダムスで、ブライアン・ヴァージョンの「ロキシー・ローラー」もレコーディングされていて全米99位になっています。
ニック・ギルダーは1977年に最初のソロアルバムを発売しますが全く成功せず、翌1978年にリリースしたこの「ホット・チャイルド」でブレイクします。
この曲のことを彼はローリング・ストーン誌にこう語っていたそうです。
「僕は、15歳や16歳の若い女の子が、ポン引きと一緒にハリウッド大通りを歩いているのをたくさん見てきた。家庭環境が彼女たちを追い詰めたから、逃げ出したけど、さらに悪いものに捕まってしまっただけなんだ。それを見ることはつらいので、無邪気なポップソングを装って、好色漢の視点から曲を書こうとしたんだ」
彼はピーター・コールマンというプロデューサーとアルバムを作っていましたが、その後マイク・チャップマンを紹介され一緒に仕事をすることになります。
イギリスで活動していたチャップマンはニッキー・チンと組んで、グラム・ロック・バンド”スウィート”の大ヒット曲を数多く書いていました。
「The Ballroom Blitz」1973年全英2位
日本でも大人気だったスージー・クアトロのヒット曲も彼らの作品でした。
「悪魔とドライブ(Devil Gate Drive)」1974年全英1位
ちなみにスージーは1977年に「ロキシー・ローラー」をカバーしています。
マイクを知っていたのはレーベル(クリサリス・レコード)の社長のテリー・エリスだったようです。
ニックはこう回想しています。
「テリーはマイクを知っていて、3曲録音したんだけど、そのうちの「ホット・チャイルド」はライブで演奏されたものと少しも変えていないんだ。僕はそのことを不思議に思った。僕は『マイケル、サウンドが空っぽに聴こえるよ。スカスカじゃないか』と言うと、彼は、『だからこそ、うまくいくんだよ。ラジオでは最高に聴こえるよ』と言ってくれた。そしてその通りになったんだ」
(Gary James' Interview)
グラム・ロックで大成功したマイクは、スカスカなサウンドこそが成功の鍵、という法則のようなものを持っていたのかもしれませんね。
それに対して、ニックはアメリカに渡ってからはグラム・ロックじゃなく、アメリカのマーケットに合うようなサウンドを試みていたんですね。
しかし、それぞれイギリスとカナダでグラム・ロックで大当たりしたもの同士ですから、スカスカなサウンドがやっぱりしっくりしたんでしょうね。
ニック・ギルダーはその後は大ヒットは出せませんでしたが、ソングライターとしても活躍しました。
最後はその中から1曲、彼がホリー・ナイトと共作した「ザ・ウォーリアー」(パティ・スマイス&ザ・スキャンダル 1984年全米7位)を。
マイク・チャップマンのプロデュース作品の最大のヒットはやっぱりこれ!
こちらも、マイク・チャップマン・プロデュース
*1:Pre-Order Exclusive