まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「デイドリーマー(Daydreamer)」デヴィッド・キャシディ(1973)

 おはようございます。

 今日はデヴィッド・キャシディの「デイドリーマー」です。

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I remember April
When the sun was in the sky
And love was burning in your eyes

Nothing in the world could bother me
'cos I was living in a world of ecstasy
But now you're gone I'm just a

daydreamer
I'm walking in the rain
Chasing after rainbows I may never find again

Life is much too beautiful to live it all alone
Oh how much I need someone to call my very own


Now the summer's over
And I find myself alone
With only memories of you
I was so in love I couldn't see
'cos I was living in a world of make believe
But now you're gone I'm just a

daydreamer

I'm walking in the rain
Chasing after rainbows I may never find again

Life is much too beautiful to live it all alone
Oh how much I need someone to call my very own


I'm just a daydreamer
I'm walking in the rain
Chasing after rainbows I may never find again

Life is much too beautiful to live it all alone
Oh how much I need someone to call my very own

I'm just a daydreamer
I'm walking in the rain
Chasing after rainbows I may never find again
Life is much to beautiful to live it all alone
Oh how much I need someone to call my very own
I'm just a daydreamer baby

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4月を覚えているよ
空には太陽があって
君の瞳には愛が燃えていた

僕らを邪魔するものなんてなかった
僕は歓喜の世界に生きていたから
だけど、君がいなくなって今は
僕はただのデイドリーマーさ
雨の中を歩いている
二度と見つからないかもしれない
虹を追いかけて

ひとりぼっちで生きるには人生はあまりにも美しい
ああ、僕だけを呼んでくれる誰かがどれだけ必要か
夏は終わって
気づけばひとりぼっちさ
あるのは君の思い出だけ
恋に夢中なあまりわからなかった
だって僕は見せかけの世界に生きていたから
でも君がいなくなった今
僕はただのデイドリーマーさ
雨の中を歩いている
二度と見つからないかもしれない
虹を追いかけて

ひとりぼっちで生きるには人生はあまりにも美しい
ああ、僕だけを呼んでくれる誰かがどれだけ必要か
僕はただのデイドリーマー
雨の中を歩いている
二度と見つからないかもしれない
虹を追いかけて

ひとりぼっちで生きるには人生はあまりにも美しい
ああ、僕だけを呼んでくれる誰かがどれだけ必要か

私はただのデイドリーマー
雨の中を歩いている
二度と見つけられないかもしれない虹を追いかけて
ひとりぼっちで生きるには人生はあまりにも美しい
ああ、僕だけを呼んでくれる誰かがどれだけ必要か
僕はただのデイドリーマーさ、ベイビー

 (拙訳)

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 たぶん、僕が初めて認識した男性アイドルはフォーリーブスだったと思いますが、このデヴィッド・キャシディもだいたい同じ頃におぼえています。新潟の田舎町でテレビしか接するメディアのない小学生2~3年生の僕が記憶しているくらいですから、日本でもかなり人気があったのだと思います。

 (海外の記事を見ると”1970年代のジャスティン・ビーバーという表記があって、なるほど、わかりやすい、と思いました、、)

 僕が彼を見たのは「パートリッジ・ファミリー」というドラマでした。アメリカでは1970年スタート、日本では1972年からオンエアされたようです。

<未亡人となった母親を経済面で助けようと5人の兄弟姉妹が組んだバンド(母親もボーカルとして参加)が、マネージャーの手腕もあって人気を獲得。母親の運転するスクールバスで演奏旅行を行うようになり、その中で発生する様々な出来事を描く…という構成>(ウィキペディア

 

   このドラマの中で歌われた曲が実際に大ヒット、1970年に全米NO.1になります。

「悲しき初恋 (I Think I Love You)」

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 父親が俳優で歌手、母親も女優という芸能一家に生まれた彼は、1969年にブロードウェイでデビューすると、このショーを見たキャスティング・ディレクターのすすめで、ユニバーサルと契約し、テレビにいくつか出演するようになります。

 そしてこの「パートリッジ・ファミリー」で、一気に世界的なアイドルの座に着いたわけです。

 その人気に合わせて、1971年にソロ・アーティストとしてデビュー。デビュー曲はアソシエーションの「チェリッシュ」のカバー。全米9位のヒットになりました。

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  1972年にはヤング・ラスカルズの名曲「高鳴る心(How Can I Be Sure)」をカバーし全英1位(全米25位)になっています。

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   プロデューサーは「パートリッジ・ファミリー」の音楽も手がけていたウェス・フェレルという人で、”レッキング・クルー”などLAの優れたミュージシャンを集めて、アイドルとはいえしっかりした音作りをしている、というのがわかります。

 それから、興味深いのはアメリカのチャート上では「チェリッシュ」がピークで徐々に下降していくのですが、クロスするようにイギリスで人気が上がっていくんですね。

 

ともかく1970年代前半から中頃の彼の人気は凄まじかったようで、世界中の主要なアリーナでコンサートが完売し、ファンは集団ヒステリーを引き起こし、メディアは ”ビートルマニア”ならぬ"キャシディマニア"なる言葉でその騒ぎを表現していたそうです。

 

  そんな彼の絶頂期の1973年、彼にとって2曲めの全英1位になったのがこの「デイドリーマー」でした。

  ここからプロデューサーがリック・ジャラードになります。彼はニルソンの「パンディモニアム・シャドウ・ショウ」「空中バレー」「ハリー・ニルソンの肖像」といった傑作や、ジェファーソン・エアプレインの「シュールリアリスティック・ピロー」やホセ・フェリシアーノなどを手がけた人です。

 

 「パートリッジ・ファミリー」が続いたおかげもあって、彼の人気は続きましたが、1974年にロンドンのホワイト・シティ・スタジアムで行われたショーで、ステージ前で押しつぶされて800人近くが負傷し、14歳の少女が亡くなるという事件があり、そのことは長年彼を深く悩ませることになったと言われています。

 そして、彼はパートリッジ・ファミリーのツアーと俳優業の両方を辞め、レコーディングと作曲に専念し、1975年と1976年にRCAから3枚のソロ・アルバムをリリースしています。

 最初の「青春のポートレート(The Higher They Climb)」 はイギリスでもヒットしましたが、徐々にセールスは落ちてゆき、三枚目の「恋の大通り(Getting It in the Street)」は最初はドイツと日本のみでのリリースになっていたようです。

 しかし、最初の二枚はビーチ・ボーイズのブルース・ジョンストンがプロデュースしたり、三枚めはブライアン・ウィルソンとの共作曲があったりして、ポップス・ファンからの評価が高く、彼本人も満足していたようです。

 

 ”過去の人”になっていた彼が復活したのが1985年、彼の大ファンだったというジョージ・マイケルが参加したシングル「ラスト・キッス」でした(全英6位)。

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  プロデュースしたのがアラン・ターニー。a-haの「テイク・オン・ミー」やクリフ・リチャードの「恋はこれっきり」などを手がけたこの時代を代表する”ポップ・マスター”の一人ですね。この曲はアランがクリフ・リチャードに書いてリリースされていた「Young Love」という曲の歌詞をデヴィッドが書き変えたものだったようです。

 

 このヒットを最後に彼がスポットライトを浴びることはなく、長年深刻なアルコール中毒に苦しんだ末、2017年に肝不全で亡くなっています。

 彼の娘によると最後の言葉が「So much wasted time」という、なんとも痛ましいものであったことが伝えられています。

 

 彼の晩年のインタビューで

「自分が10代の頃、マーヴィン・ゲイB.B.キングエリック・クラプトンジミ・ヘンドリックスを5回、ベルベット・アンダーグラウンド、ドアーズ、バッファロー・スプリングフィールドなどを見たことがあります。ドアーズはウィスキーで見ました。68年にはストーンズも見ました。ヘンドリックスは5回、彼がママス・アンド・パパスの前座を務めたのも見ました」

 (Yahoo" Entertainment     

  と語っていて、かなりのロック・ファンだったようで、他のインタビューではR&Bやブルースへの愛情を語っていました。

 アイドルであることと、本格的な音楽ファンであることのギャップに悩まされていたのかもしれません。

 

 さて、「デイドリーマー」を聴いていると、バリー・マニロウでヒットした「涙色の微笑(Can't Smile Without You)」はこの曲を参考にしたんじゃないか、と僕には思えるんです。ジノ・クニコというシンガーの「ジノ・クニコ」というアルバムには両方のカバーが入っていて、わざとだろ?なんて疑ってしまいます。

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 そういえば、ワムの「ラストクリスマス」は「涙色の微笑」の盗作じゃないかと訴えられ示談になったことがあったことを思い出しました。

 でも、ジョージ・マイケルがデヴィッドの大ファンだったなら、「ラスト・クリスマス」は「デイドリーマー」の方の影響が大きいんじゃないか、などと考えていたら、デヴィッドのこんなライヴ動画がありました。「涙色の微笑」と「ラスト・クリスマス」に、クール&ザ・ギャングの「ジョアンナ」まで加えて、全部「デイドリーマー」のパクリだろ?って感じで、そんなあからさまにやらなくても、と思いもしますが、、、。「ラスト・クリスマス」を訴えた「涙色の微笑」だって「デイドリーム」に似てるじゃないか、なんて話に当時になって、「涙色の微笑」側も示談にせざるを得なかった、、なんてことはあったのでしょうか、、、その辺はわかりませんが。

 1985年のロイヤル・アルバート・ホールでのライヴのようです。

 

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