まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます

「サッド・アイズ(Sad Eyes)」ロバート・ジョン(1979)

 おはようございます。

 今日は1979年10月に全米NO.1になったロバート・ジョンの「サッド・アイズ」です。


Robert John - Sad Eyes (Lyrics)

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Looks like it's over, you knew I couldn't stay
She's comin' home today
We had a good thing, I'll miss your sweet love
Why must you look at me that way?
It's over

Sad eyes, turn the other way
I don't want to see you cry
Sad eyes, you knew there'd come a day
When we would have to say "goodbye"

Try to remember the magic that we shared
In time your broken heart will mend
I never used you, you knew I really cared
I hate to see it have to end
But it's over

Sad eyes, turn the other way 
I don't want to see you cry
Sad eyes, you knew there'd come a day 
When we would have to say "goodbye"

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これで終わりみたいさ 僕がここにはいられないのはわかるよね

彼女が今日帰ってくるんだ

僕たちには素敵なことがあったし

君の優しい愛を恋しくなるだろう

なぜそんな風に僕を見なくちゃいけないんだい

もう終わりなんだ

 

哀しげな瞳を むこうに向けてくれ

君が泣くのを見たくないんだ

哀しい瞳よ 

さよならを言う日が来ることはわかっていたはずだろう

 

二人が分かち合った魔法を思い出して

時とともに、心の傷も癒えるだろう

君を利用したことは決してない 本気で愛していた

終わりが来るのを見たくなんかない

でも、おしまいなんだ

 

哀しげな瞳を むこうに向けてくれ

君が泣くのを見たくないんだ

哀しい瞳よ 

さよならを言う日が来ることはわかっていたはずだろう  (拙訳)

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 たぶん浮気をしていて奥さんのところに戻る決意をしたという設定でしょうか、、。しかし、自分の都合で女性に別れようとしながら、こんなにロマンティックなムードの歌にしてきれいに別れよう、なんていうのは本当に男がやりがちな、ある意味男の本性がよく出てる歌だなあと思います(苦笑。

 

 (日本では(アメリカでも?)それほど知名度のある人じゃないですが、このブログらしくいつものように”突っ込んで”いきます!)

 

 さて、この曲を作って歌っているロバート・ジョンはこのときすでに35歳でした。 

 白人でいながら黒人のドゥ・ワップ・コーラス・グループを彷彿させる見事なファルセット・ボイスは、時代のニーズにあったタイミングだけスポットライトがあたる運命のようでした。

 

 彼はニューヨーク、ブルックリンに生まれ、本名はロバート・ジョン・ペドリックJRといいました。

 デビューしたのが1958年、まだ彼が12歳の時です。50年代のドゥ・ワップ全盛時代の中で育った彼がボビー・ペドリックJR名義で出したシングル「White Back and Saddle Shoes」が全米79位にチャート・インしました。

「ラストダンスは私に」やエルヴィス・プレスリーの曲(「ラスベガス万才」など)を手がけたことで知られるドク・ポーマスとモウト・シューマンのコンビが書いたものでした。


Bobby Pedrick, Jr. (Robert John) - White Bucks and Saddle Shoes (1958)

 その後ボビー&ザ・コンソールズというドゥ・ワップ・グループを組みシングルを出しますがローカル・ヒットで終わってしまい、一度は貿易関係の業界誌で職を見つけますが、音楽の夢は断ち切れず彼は作曲家として活動を始めることにします。そして、デモ・テープでの彼の歌声を気に入られ、”ロバート・ジョン”名義で再デビューすることになったのが1968年、彼が22歳の時でした。

 コロンビア・レコードからリリースした「If You Don't Want My Love」という曲は全米49位とまあまあの成績を残しました。


Robert John - If You Don't Want My Love

 当時流行していたソフト・ロックと彼らしいドゥ・ワップ・グループっぽいムードがうまくミックスされているように思えます。

 

  その後彼は、ジョージ・トビンというプロデューサーと出会い、彼の招きでA&Mレコードから3枚シングルをリリースします。しかし全くヒットせず、そのためか彼のWikipediaディスコグラフィーからは完全に外されてしまっていますが、A&Mは当時のソフト・ロックの最高峰レーベルですから、作品自体はなかなかいいんです。

 

 A&Mからの最初のシングル「Raindrops,Love And Sunshine」


Robert John Raindrops, Love And Sunshine

 

 そして、念願の初ヒットは1972年「ライオンは寝ている(The Lion Sleeps Tonight)」。1961年にトーケンズが大ヒットさせた曲のカバーで、この企画ありきで彼にオファーがあったのです。彼のヴァージョンはトーケンズの元メンバーがプロデュースし、全米3位まであがりました。


Robert John - The Lion Sleeps Tonight

 次はデビュー作と同じドク・ポーマスとモウト・シューマン・コンビの作でビーチ・ボーイズのカバーでも知られる「ハッシャバイ」(オリジナルはザ・ミスティックス)をリリースしますがこちらは売れませんでした。そして、全米3位の大ヒットを出しながらも彼はアルバムを作らせてもらえず、失望した彼は一度音楽業界から離れてしまいます。

 

  それから何年も経ったのですが、A&Mレコード時代のプロデューサー、ジョージ・トビンはロバートのことを忘れていなかったのでしょう、1978年にトビー・ボーというバンドが「My Angel Baby」という曲をヒットさせた時(全米13位)、こういう曲をロバートに歌わせればヒットすると考えました。


Toby Beau - My Angel Baby

 

 ジョンがジョージから連絡を受けた時、彼はニュージャージーの建設現場で労働者として働いていたそうです。そしてジョージからの申し入れを受けた彼は、ジョージの家に居候しながら彼の意見を聞きながら3ヶ月もかけてこの「サッド・アイズ」を完成させたのだそうです。

 

 そして「サッド・アイズ」はヒット・チャートに入ってから20週間もかかって1位に到達、それは当時の最長記録でした。

 また、初めてチャートインしてから約21年かかって、その間二度も音楽業界から離れながらも、つかみとった1位でもありました。

 

 そして、この曲には、やはり音楽業界から離れて家政婦をやっていて再び戻ってきたダーレン・ラヴがバック・コーラスをつとめているんです(ダーレンの妹のエドナ・ライトも参加、曲後半の見事なソロ・コーラスを歌っています)。

 

 ロバートとダーレンのエピソードを知ると、この曲がまたぐっと趣深いものになるような気がします。

 

 最後は「サッド・アイズ」の翌年リリースされたシングル「ヘイ・ゼア・ロンリー・ガール」。1963年のルビー&ザ・ロマンティックスのカバーで全米31位。彼のファルセットが冴えています。


Hey There Lonely Girl

 

 

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