まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「愛はどこへ行ったの( Where Did Our Love Go)」スプリームス(1964)

 おはようございます。

 今日は、昔からの呼称”シュープリームス”と、英語の発音に近づけた最近の呼称”スプリームス”が混在している、”スプリームス”(僕はこっちをチョイスしました)の「愛はどこに行ったの」です。


Where Did Our Love Go

 

  ”ベイビー、ベイビー、ベイビー 行かないで

    ああ、どうか私をひとりっきりにしないで

       心には 熱く、燃えるような、あなたを思う気持ち

    ああ、心の深い場所に、そしてそこがすごく痛むの

 

  あなたは熱い愛とともに 私の心に優しく入りこみ

  蜂のように刺したの 

  私はただなすすべもなく、あなたにすべてゆだねてる

  もうあなたは出ていきたいのね

  ああ、私と別れたいのね、ああ

 

  ベイビー、ベイビー、二人の愛はどこに行ってしまったの?

  ああ、私が欲しくないの?

  もう私が必要じゃないの ああ、ベイビー

 

  ベイビー、ベイビー、二人の愛はどこに行ってしまったの?

  そして永遠の愛の約束も

  心には 熱く、燃えるような、あなたを思う気持ち

    ああ、心の深い場所に、そしてそこがすごく痛むの

 

  私のハートを奪う前から

  あなたは完璧な男性だったわ

  だけど、私をものにしたのに

  あなたは私を置き去りにしたいの ああ ベイビー

 

  ベイビー、ベイビー、ベイビー 行かないで

     ああ、どうか私をひとりっきりにしないで 

  ああ、ベイビー ベイビー” (拙訳)

 

 この「愛はどこに行ったの」はスプリームスにとってはじめての全米NO.1ヒットとなり、その後全部で12曲が全米NO.1に輝いていて、これはマドンナと並んで史上6位、女性グループとしては最高記録になっています。

 1960年代にシングル・ヒットの数でビートルズに最も対抗できたアーティストは、彼女たちだったと言ってもいいでしょう。

 

 スプリームスは、ダイアナ・ロス、フローレンス・バラード、メアリー・ウィルソンの3人組。

 フローレンス・バラードが中心になって作ったプライメッツというグループが元になっています。メンバーの入れ替わりや脱退もあってこの3人に落ち着いたわけです。

 このグループをきっかけにスーパー・スターになるダイアナ・ロスは一番最後に加わり、年齢も一番下でした。

 

 彼女たちはモータウンが最初に契約した女性グループで1961年にデビューしますが全く売れず、マーヴェレッツやメリー・ウェルズ、マーサ&ザ・ヴァンデラスといった女性アーティストのほうが先に売れたのです。

 

 

 ちなみに、彼女たちのデビュー曲は「I Want A Guy」という曲でした。


I Want A Guy

 当初はモータウンの社長ベリー・ゴーディ自らソングライティングにも加わり、ヒット請負人”スモーキー・ロビンソン”も曲を書きますが、うまくいきませんでした。

 この頃、彼女たちには”ノー・ヒット・スプリームス”というあだ名がつけられていたそうです(メンバーのメアリー・ウェルズは、みんなが陰口を言っていたのを知っていたので、自嘲と皮肉の気持ちで自分がそうつけたのだと言っています)

 

 彼女たちに転機が訪れたのは、ソングライター・チーム、ホランド=ドジャー=ホランドと組むようになってからです。この3人は1962年からチームを組み1963年にはマーサ&ザ・ヴァンデラスの「ヒート・ウェイヴ」をヒットさせるなど勢いに乗っていました。

 そして彼らが彼女たちのために最初に書いた「When the Lovelight Starts Shining Through His Eyes(恋のキラキラ星)」が全米23位まで上がるスマッシュ・ヒットになりました。


When The Lovelight Starts Shining Through His Eyes

 次の「RUN,RUN ,RUN」という曲はクリスタルズの「ダ・ドゥ・ロン・ロン」のリズムを露骨にイミテートとしたもので、チャートでは空振りに終わってしまいましたが、その次に書いたのがこの「愛はどこに行ったの」でした。

 

 もともとマーヴェレッツに書いた曲だったという説がありますが、真偽はわかりません(エディ・ホランドはそれを否定し、ラモン・ドジャーマーヴェレッツのキーで作ったと言っているようです)。

 しかし、この曲を最初に聞いた時、スプリームスのメンバーは乗り気じゃなかったという情報は確かなようです。

 メリー・ウェルズはこう言っています。

「「僕らを信じてくれよ。ヒットするからさ」って彼ら(ホランド=ドジャー=ホランド)は言ったの。「そうね、でもこれじゃまるで子供の歌じゃない。マーサ・アンド・ザ・ヴァンデラスの<ダンシング・イン・ザ・ストリート>とは大違いだわね」って私たちは言ったわ。「ベイビー、ベイビー」なんて、子供っぽいたらないでしょう。」

              (「モータウン・ミュージック」ネルソン・ジョージ

  甲高いヴォーカルのダイアナよりも、ソフトな声のメリーがリードをとったほうがいいと、ソングライターの一人エディ・ホランドは考えたそうですが、他の二人とベリー・ゴーディーはダイアナを推したため、結局ダイアナがいつもより低いキーでテンションを抑えて歌うことになりました。

 

 メロディアスでいい曲ではありますが、メリー・ウェルズが皮肉った「ベイビー、ベイビー」のしつこいほどの連呼が強いフックになっています(ダイアナは14回、コーラスの2人は54回”ベイビー”と歌っているそうです)。

 そして、曲全体を通して響く、足踏みの音がとても効果的です。

 モータウンでは、エコー室にマイクを数本立てて、ベニア板を敷きつめたところを実際に靴で踏みならすことで、このサウンドを得たそうです。

 ポップスというのは、メロディだけじゃなく、様々な仕掛け、フックが重要なのだとあらためて思い知らされます。

 

 さて、この曲がNO.1になったことにより、スプリームスは一気にモータウンの一押しアーティストになりました。「マイ・ガイ」のメリー・ウェルズがモータウンを辞めてしまったため、”ポップ”な曲を歌う女性ボーカルの枠がちょうど空いていた、というタイミングも大きかったと思います。

 

 しかし、ダイアナ・ロス中心のポップス路線に固定されたことにより、あとの二人は不満を感じることになります。二人ともメイン・ヴォーカルをとれるシンガーで、高度なハーモニーの技術も持っているのに、それを十分に発揮することができないからです(もちろん、アルバムの中では彼女たちにメインを歌う曲もありましたが)。

 特に、このグループの創立者であったフローレンス・バラードはそうだったようで、多忙過ぎるスケジュールやアルコール依存、ダイアナとの確執なども重なって、1967年にグループを離れてしまいます。

  1968年にソロ・シングルをリリースしますが成功せず、1976年には病気のため32歳の若さで亡くなっています。

 

 実は、「I Want a Guy」に続くセカンド・シングル「バタード・ポップコーン」はフローレンスがメイン・ヴォーカルをつとめていました。


Buttered Popcorn

 そしてこの曲は、地元デトロイトのラジオでオンエアされ始め、ヒットの兆しが見えていたらしいのです。モータウンのプロモーション担当はこの曲をメインに宣伝しようとしたそうですが、ダイアナ中心でいくことをで考えていたベリー・ゴーディーがそれを差し止めたのだそうです。

 もし、これがヒットしていたら、スプリームスマーヴェレッツっぽいグループとしてフーレンス中心になったのかもしれません。

 また、「愛はどこへ行ったの」のメインがメリーだったら?また違うグループになっていたかもしれません。

 

 まあ、なんの世界でも”たられば”を言ったらキリがないですし、虚しいことではあるのは十分承知していますが、、。



 

  当時のモータウンの他の歌姫たち

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