まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「かなわぬ想い(Why Can't We Live Together)」ティミー・トーマス(1972)

 おはようございます。

 今日はティミー・トーマスの「かなわぬ想い」です。

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Tell me why? Tell me why? Tell me why?
Why can't we live together?
Tell me why? Tell me why?
Why can't we live together?


Everybody wants to live together
Why can't we live together?


No more wars, no more wars, no more war
Just a little peace in this world
No more wars, no more war
All we want is some peace in this world


Everybody wants to live together
Why can't we live together?


Can't live, can't live
Can't live together
Can't live together


No matter, no matter what color
You are still my brother
I said, no matter, no matter what color
You are still my brother


Everybody wants to live together
Why can't we live together?

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教えてほしい 教えてほしい
どうして一緒に生きられないの?
教えてほしい 教えてほしい
どうして一緒に生きられないの?


みんな一緒に生きていきたいのに
どうして一緒に生きられないの?


もう戦争はいやだ、もう戦争はいやだ、もう戦争はいやだ
この世界にはささやかな平和があるだけでいい
もう戦争はいやだ、もう戦争はいやだ
僕たちがこの世界に欲しいのは、平和なんだ


みんな一緒に暮らしたいのに
どうして一緒に暮らせないの?


生きていけない、生きていけない
一緒に生きていけない
一緒に生きていけない


どんな、どんな肌の色でも関係ない
君は今も僕の兄弟さ
言ったよね、どんな、どんな肌の色でも関係ない
君は今も僕の兄弟さ


みんな一緒に生きていきたいのに
どうして一緒に生きられないの?

               (拙訳)

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 ティミー・トーマスはこの曲を作った時のことをこう語っています。

「振り返ると鮮明に思い出せるんだ、何が起こったか。僕はマイアミに引っ越してきたばかりだった。そして忘れられないのは、書斎に座っていたんだ、学校で教えるための準備勉強をしていたから。高等教育の。そして、ウォルター・クロンカイトの声が聞こえてきたんだ。これは絶対に忘れられない。彼はこう言ったんだ。"今日、35,000人のベトコンが死に、15,000人のアメリカ人が死んだ”。僕は言った”何だって!?それほど多くの母親の子供が死んだということか?戦争では同じテーブルに着いて座って話し合うことができないのか、こんなに多くの家族が愛する人を失うことなしに?”そしてこう言ったんだ ”どうして一緒に生きられないのか?(Why Can't We Live Together)」

 (SPIN   October 5, 2015)

 

 ウォルター・クロンカイトは、当時最もアメリカ国民から支持されたニュース番組「CBSイブニング・ニュース」のアンカーマンで”アメリカで最も信頼できる男”と呼ばれていたそうです。ベトナム戦争反対へと世論が動いたことにも、彼が大きく影響を与えたと言われています。

 クロンカイトの伝えたベトナム戦争のニュースを聞いて、ティミー・トーマスはすぐにこの曲を作ったわけです。

 

  ティミー・トーマスは、インディアナ州エバンスビルで生まれ、その後、メンフィスに移り、学校の管理者やブッカー・T&M.G.sやドナルド・バードキャノンボール・アダレーなどのセッション・ミュージシャンとして活躍し、シングルもリリースしています。

 彼の最初期のシングル「Have Some Boogaloo」(1967)。彼がかなりファンキーなオルガン奏者だということがわかります。

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    その後、フロリダ・メモリアル・カレッジからのオファーでマイアミに移りますが、ミュージシャンとしての活動も続け、マイアミ・ビーチの古いホテルにナイト・クラブをオープンさせたそうです。

 そして、彼はこの曲を書いたわけです。

 そして自分のクラブで演奏したところ、観客に大ウケしたので、350ドルでデモテープを作り、それをラジオ局持って行ってお金を払ってかけてもらいます。すると、「もう一度聴きたい」という視聴者からのリクエストが殺到したと言われています。

 それを聴いたのが、マイアミの流通業者だったヘンリー・ストーンで、ティミーに連絡を取り契約を交わします。そして、ティミーが所有していた電子オルガン(ローリー)と内臓ビートボックスの演奏でこの曲を再録し、ヘンリーが所有する”GLADES"というレーベルからリリースしました。

 するとこの曲は、全米3位、R&Bチャート1位という大ヒットになりました。

 レーベルのプロデューサー、スティーヴ・アライモは当初はフル・バンドで曲を録り直すつもりだったそうですが、いや、このままでもう出来上がっている、と考え直したそうで、この判断が吉と出たわけです。

 

    「かなわぬ想い」はこれ以上のものはないほど、無駄を削ぎ落とした真摯な反戦歌ではありますが、このオルガンとビート・ボックスのサウンド自体も時代を超えて、色褪せていないようです。

 

 2015年には最も人気のあるラッパー、ドレイクがこの曲をサンプリングした「Hotline Bling」という曲を発表し全米2位(YouTubeでは17億回再生)の大ヒットになり、ティミーにも注目が集まりました。

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 また、世界的には彼はこの「かなわぬ想い」1曲だけ知られているようですが、フィリピンでは1993年にリリースした「DYING INSIDE TO HOLD YOU」という曲が大ヒットしたようで、2017年には映画の主題歌として女性シンガーにカバーされたことで、最人気になって、今もサブスクでよく再生されています。

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 とはいえ、彼はやはりこの「かなわぬ想い」。まぎれもなく奇跡の1曲なんだと思います。

  「世界中、社会不安のある国の人は、僕を呼んでくれた。フィリピン、マレーシア、インドネシア南アフリカでも演奏した。僕の音楽が法律を変えることはできないことはわかっている。だけど心は変えられる。そして、僕は人種で分離された会場ではたった一度でも演奏したことはないんだ」

 (Henry Stone Music)

 

 最後は、この曲のカバーを。1984年のデビューアルバムでカバーし、この曲の再評価のきっかけを作ったシャーデーのライヴ映像。

 もうひとつは2003年のアルバム「About Time」でカバーしたスティーヴ・ウィンウッドサンタナと共演したもの。ウィンウッドは、きっとソウルフルなオルガン奏者として、この曲に反応したんだろうな、と思ってしまう映像です。

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