まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲を選曲しました(苦笑)。古今東西のポップ・ソングをエピソード、歌詞の和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。みなさんの音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればうれしいです。みなさんからの情報や思い出話などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「アイ・ラヴ・ユア・スマイル(I Love Your Smile)」シャニース(1991)

 おはようございます。

 今日はシャニースの「アイ・ラヴ・ユア・スマイル」。日本でもラジオでかかりまくって大ヒットしましたが、当時僕は彼女のことを新人だとばかり思っていましたが、アメリカではずっと以前からTVに出ていた”天才少女シンガー”だったようです。


Shanice - I Love Your Smile (Official Music Video)

  歌手だった彼女の母親と叔母は音楽で成功したいという野心のためペンシルバニア州ピッツバーグからロサンゼルスに引っ越したそうですが、2歳の頃から母親のステージも出ていたというシャニースの才能に気づくと、自分たちじゃなく彼女を売り出す方針にシフトして、そのために会社を作ったそうです。

 そして、その甲斐あって彼女は、9歳の時に史上最高のジャズシンガーの一人、エラ・フィッツジェラルドが出演するケンタッキー・フライドチキンのCMに出演します。(エラがこういうCMをやっていたことに驚きますが、、) 


Ella Fitzgerald & Shanice

 後半エラの右後ろで歌っているのが彼女ですね。

 1994年にはディスニー・チャンネルで放送されていた子供向け人気TV番組「キッズ・インコーポレイレッド」に出演。後にブラックアイド・ピーズのメンバーになるファーギーや1989年に「トイ・ソルジャー」のヒットを放ったマルティカなども出演していたそうです。

 そして同じ年にTVのオーディション番組「スター・サーチ」のジュニア・シンガー部門で彼女は見事グランプリ(ウィナー)になります。


SHANICE SINGING THE GREATEST LOVE OF ALL ON STAR SEARCH - @Shaniceonline

 この番組は、ブリトニー・スピアーズジャスティン・ティンバーレイククリスティーナ・アギレラ、バック・ストリートボーイズ、デスティニーズ・チャイルドアラニス・モリセット、アッシャー、ピットブル、、といった超大物アーティストたちがまだ無名時代にチャンスを求めて参加していました。

 彼らはみんなこの番組のコンテストで負けてしまいましたが、リストを見る限り勝者で今超大物アーティストになっている人はいなさそうなので、こういうところでは挫折する方が、後々の糧になるのかもしれませんね。

 

 しかし、見事勝ってしまったシャニースは注目が集まります、11才でレコード会社との契約を勝ち取ります。しかし、すぐにデビューとはいきませんでした。TVで全国に放映された”可愛らしい少女”のイメージで売り出したいメーカーと、日々どんどん成長していく彼女とのギャップが大きくなり”落とし所”が見つからなかったのかもしれません。しかし、ようやく1987年に彼女はメジャーデビューを果たします。それでも、まだ14才でしたが。

 


Shanice - (Baby Tell Me) Can You Dance (Official Music Video)

 完全に当時大ブレイクしたジャネット・ジャクソンを真似たスタイルですね。曲を作りプロデュースしたブライアン・ローレンは1984年に自身がソロ・デビューもしているアーティスト。後に、マイケル・ジャクソンとも交流し「ブラック・オア・ホワイト」のドラムスとシンセ・ベースは彼がやっているそうです。

 

 しかし、この曲やアルバムは成功せず、レーベルを移籍し1991年にリリースしたのがこの「アイ・ラヴ・ユア・スマイル」でした。

   ここで起用されたプロデューサーがナラダ・マイケル・ウォルデンホイットニー・ヒューストンマライア・キャリーという2大歌姫のデビューアルバムにも参加している,R&Bとポップをクロス・オーバーした耳馴染みのいい作品を作らせたら右に出る者がいない”達人”です。

   彼は70年代にジェフ・ベックウェザー・リポートと共演しスーパー・ドラマーとして名を馳せた彼は80年代にプロデューサーに転向して大ブレイクします。彼が最初に手がけたのがステイシー・ラティソウという13才の少女でしたから、14才でデビューし18才の当時ポスト・ホイットニーを目指していた彼女は、彼にはぴったりの素材だったのでしょう。

 当時、ナラダはシャニースのことを”今まで仕事をしてきた中でも最高の才能を持つシンガーの一人”と話したそうです。

 

 「アイ・ラヴ・ユア・スマイル」の一発屋のイメージがあるかもしれませんが、翌1992年には人気TV番組「ビバリーヒルズ高校白書」に使われた「Saving Forever For You」が全米4位の大ヒットを記録。


Shanice - Saving Forever For You PV

 作詞・作曲がダイアン・ウォーレン アレンジ・プロデュースはデヴィッド・フォスターという当時の”鉄壁”の布陣。曲の終わりに出てきますが、彼女もマライアのような超ハイトーン・ボイスが出る人なんですね。

 しかし、このあとのアルバムがこけてしまい、レコード会社(モータウン)との契約が切れて、再びブランクが空いてしまいます。

 1999年にベイビーフェイスのレーベル”ラフェイス”からリリースしたアルバムからのシングルが全米12位のスマッシュ・ヒットを記録します。


Shanice - When I Close My Eyes (Video Version)

 その後も彼女は歌手活動を続け、インディーズからシングルをリリースしています。

 僕が思うことは、”天才少女”はジャネット、ホイットニー、マライアという超大物の”ポスト”の位置のまま、シャニース独自のスタイルを得ることができなかったということです。

 ただ、「アイ・ラヴ・ユア・スマイル」という曲はこれからもずっと長く聴く人の気持ちを軽やかにしてくれるだろうとは思います。

 

 幼いころからショービジネスで生きてきた彼女は、かなりの苦労をしてきたようで

 この当時のインタビューで

 ”歌うことは簡単そうに見えたとしても、本当に大変な仕事なの”

 と語っています。

 また、20才の頃のインタビューでは

 音楽業界で成功をしようと夢見る若い才能たちへのアドバイスとして

 ”ます学校を卒業することが先決。私は家庭教師をいつも同行させていて、学業とアルバムのプロモーションを両立させるのはすごいプレッシャーだったから”と言っています。

 歌手だけじゃなく、役者もそうですが、天才少年、天才少女だった人はやっぱりいろいろ苦労するんでしょうね。

インナー・チャイルド

インナー・チャイルド

  • アーティスト:シャニース
  • 発売日: 1992/04/01
  • メディア: CD