まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。(現在は不定期で更新中)古今東西のポップ・ソングを、エピソード、和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などを交えて紹介しています。親しみやすいポップスは今の時代では”ニッチ(NIche)”な存在になってしまったのかもしれませんが、このブログがみなさんの音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればうれしいです。追加情報や曲にまつわる思い出などありましたらどんどんコメントしてください!text by 堀克巳(VOZ Record

「アンド・ホエン・アイ・ダイ(And When I Die)」ローラ・ニーロ(Laura Nyro)(1967)

おはようございます。今日はローラ・ニーロの「アンド・ホエン・アイ・ダイ(And When I Die)」です。

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And when I die
And when I'm dead, dead and gone
There'll be one child born
And a world to carry on, to carry on

I'm not scared of dying
And I don't really care
If it's peace you find in dying
Well, then let the time be near
If it's peace you find in dying
When dying time is here
Just bundle up my coffin
'Cause it's cold way down there
I hear that's it's cold way down there
Yeah, crazy cold way down there

And when I die
And when I'm gone
There'll be one child born
And a world to carry on, to carry on

My troubles are many
They're as deep as a well
I can swear there ain't no heaven
But I pray there ain't no hell
Swear there ain't no heaven
And pray there ain't no hell
But I'll never know by living
Only my dying will tell
Said only my dying will tell
Yeah, only my dying will tell

And when I die
And when I'm gone
There'll be one child born
And a world to carry on, to carry on

Give me my freedom
For as long as I be
All I ask of living
Is to have no chains on me
All I ask of living
Is to have no chains on me
And all I ask of dying
Is to go naturally
Only want to go naturally
Don't want to go by the devil
Don't want to go by the demon
Don't want to go by Satan
Don't want to die uneasy
Just let me go naturally

And when I die
And when I'm gone
There'll be one child born
There'll be one child born

When I die
There'll be one child born、、、

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そして私が死ぬとき
そして私が死んで、いなくなってしまうとき
一人の子供が生まれるだろう
そして世界は続いていく、続いていく

私は死ぬことを恐れちゃいない
本当に気にもしていない
もし死に安らぎを見出せるなら
うん、その時は近くてもいい
もし死に安らぎを見出せるなら
死ぬ時が来たときに
ただ私の棺を包んでほしい
だって、そこはとても寒いから
そこはとても寒いらしいわ
ああ、そこは信じられないほど寒いらしい

そして私が死ぬとき
そして私がいってしまうとき
一人の子供が生まれるだろう
そして世界は続いていく、続いていく

私の悩みはたくさんあって
井戸のように深い
私は天国なんてないと誓えるわ
でも地獄もないことを祈ってる
誓って天国なんてないわ
そして地獄もないことを祈ってる
だけど生きてる限り決して知りようがない
ただ死んだ時にだけわかる
死ぬ時にだけわかるのよ
そう、死んで初めてわかるの

そして私が死ぬとき
そして私がいってしまうとき
一人の子供が生まれるだろう
そして世界は続いていく、続いていく

私に自由をちょうだい
私がいる限りずっと
生きている間の私の願いは
ただ鎖でしばらないでほしいってこと
生きている間の私の願いは
ただ鎖につなげないでほしいってこと
そして私が死ぬときに望むのは
自然に逝かせてほしいってこと
ただ自然に逝きたい
悪魔の手で死にたくない
悪霊の手で死にたくない
サタンの手で死にたくない
不安なままで死にたくない
ただ自然に逝かせてほしい

そして私が死ぬとき
そして私がいってしまうとき
一人の子供が生まれるだろう
一人の子供が生まれるだろう

私が死ぬとき
一人の子供が生まれるだろう   (拙訳)

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「アンド・ホエン・アイ・ダイ(And When I Die)」のヤマハぷりんと楽譜はこちら

 

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この曲は彼女が17歳の時に生まれて初めて書いた曲の一つだったそうです。もう一つは以前にこのブログでも取り上げた「ウェディング・ベル・ブルース」です。

 彼女はインタビューでこのように語っています。

「私は小さい頃から詩を読んでいました。詩が本当に好きでした。だから曲を書き始めたときには、心に詩的なフレームがあったんです。そして音楽に関しても、私は幼い頃から夢中で聴き続けてきました。たとえば、いとこが私に「The Wind」という曲を聴かせてくれたことを覚えています。あのとき私は12歳くらいだったと思います。「The Wind」は初期のとても美しいドゥーワップ曲のひとつでした。それを聴いたときに心にまっすぐ届いたんです。だから私はそういうものに惹かれていたんですね。だから10代後半に「And When I Die」や「Wedding Bell Blues」を書いたときには、すでに音楽の中に深く入り込んでいました。あの頃はジョン・コルトレーンマイルス・デイヴィスも聴いていましたから。」(Performing Songwriter October 18, 2014)

 

   また彼女はこのようにも語っています。

「この曲にはティーンエイジャーが持つある種の民衆的な知恵(folk wisdom)があると思うんです。若者にはみんな心の奥に民衆的な知恵があるんです。だから、この曲にそれが自然に流れ出てきたのだと思います。」(Performing Songwriter October 18, 2014)

 ”folk wisdom"はネット辞書で調べるとこうあります。

”本や専門家からではなく、普通の人々の経験や伝統から生まれる知識や信念”

 彼女はティーンエイジャーには、彼ら特有のfolk wisdomがあるというんですね。本来は経験や伝統とかいう相当な”年月”を必要とされる知恵があると。

 これって、すごく面白くて、”芯をついた”発言のように思えます。ポップ・ミュージックのとても重要な鍵なのかもしれないです。

 少し前にこのブログで取り上げたジョニ・ミッチェルの「サークル・ゲーム」もそうですが、人生経験もさほどない若いソングライターが、人間の真理をつかんだような歌詞を書くことがあります。僕がレコード会社で働いていた時に担当したフィオナ・アップルのデビューアルバム「TIDAL」なんかすごくそういうものを感じましたし、日本でもユーミンのデビュー作「ひこうき雲」もそうですよね。若くしてそういう歌詞を書くのは女性アーティストのほうが多い気がします。

 これは若い時代に特有の鋭く、ある意味不器用で繊細な感性が、日常の中に人間の真理を察知して見通すことができるからかもしれません。

 そして、それを特別な詩才で表現しながら、明快なポップソングの形に落とし込むことができたものは、長く残るものになりやすい。それは普遍的な人間の真理、folk wisdomが備わっている歌だから、世代を超えて歌い継がれるものになるのかもしれません。

 

 さて、この「アンド・ホエン・アイ・ダイ(And When I Die)」ですが、最初にレコーディングしたのも、大ヒットさせたのもローラ本人じゃないんですよね。

 最初に録音したのは日本でも大変人気のあったフォーク・トリオ、ピーター、ポール&マリーで1966年にリリースされました。

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 そして、この曲を大ヒットにさせたのがブラッド、スウェット&ティアーズです。前々回のブログで取り上げた「ユーヴ・メイド・ミー・ソー・ヴェリー・ハッピー」、前回取り上げた「スピニング・ホイール」に続く第3弾シングルとして発売され全米2位の大ヒットになっています。ちなみにこの3曲、全部全米最高2位なんですね。

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 ローラやピーター、ポール&マリーとは全然違う曲に聴こえますよね。リズム・パターンやアレンジがガラッと変わったということはもちろんですけど、何より女性が歌うか男が歌うかとでは歌詞が全然違うニュアンスで伝わってきます。

 若い女性が「私は死が怖くない、私が死んでも子供が産まれて、世界は続いてゆく」と歌うと、そこには内省的でスピリチュアルなものを感じますが、男臭いデヴィッド・クレイトン・トーマスの歌いっぷりだと(途中、西部劇っぽいアレンジまで出てきますし)、死を恐れないタフなカウボーイの歌のように聴こえてしまいます。そして、だからこそアメリカの大衆に広くウケたのかもしれませんね。

 実はローラ・ニーロアル・クーパーが脱退した後のブラッド 、スウェット&ティアーズのリード・ボーカル候補でした。

 ベースのジム・フィールダーはこう語っています。

「彼女に会ったのは、アル・クーパーの後任のリードシンガー候補として、僕たちとリハーサルをすることになった時だよ。彼女のマネージャーだったデヴィッド・ゲフィンが彼女にやめるように説得してね。結果的には、それが僕たち全員にとって一番良かったんじゃないかな。」(GOLDMINE  March 22, 2010)

 しかし、ジムは彼女と付き合い始め、バンドとの交流は続いていたようで、後任リード・ボーカルになったデヴィッド・クレイトン・トーマスはこう回想しています。

 「ローラはよく俺たちのリハーサルに来て、時間を過ごしていた。時にはピザを持ってきてリハーサル会場に現れたりして、本当にただの仲間同士って感じだった。俺たちはローラの曲も知っていたし、彼女がレコーディング・キャリアを始める前から、彼女は俺たちがつるんでいた仲間内の中心人物のひとりだったんだ。」(Songfacts)

 僕が興味があるのは、もしローラがバンドのボーカルになって「アンド・ホエン・ダイ」を歌うことになったら、どんなアレンジになっただろう?ということです。今のヴァージョンとは全然違うものになったのは間違いないでしょう。

 

 最後に、「アンド・ホエン・ダイ」同様にローラのデビューアルバムに収録され、B,S&Tがカバーしたものがもう1曲ありますので、それを聴き比べて終わります。「He's a Runner」です。

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