おはようございます。今日はパフ・ジョンソンの「フォーエバー・モア(Forever More)」です。
When you close your eyes
I hope you think of me
Just say the word
And I will be there for you
No need to hesitate
My love will be here always, ohh
Forever more
You will be what l'm livin' for
And deep in my heart
There's a flame burns just for you, and only you
Forever more
Forever more
When you need a friend
I'll be there 'til the end
Come rain or shine
I'll be standin' by your side, oh yes, I will
I'll never turn away, my love
Will be here always,
Forever more
You will be what l'm livin' for
And deep in my heart
There's a flame that burns, just for you, and only you
Forever more
Never felt this way before
Until you made sweet love to me, oh baby
You're the one my heart adores
The only man I need, ohh, forever
Forever more
You will be what I'm longing for
And deep in my soul
There's a light that shines just for you, and only you
Forever more
Forever more、、、
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目を閉じたら
どうか私のことを思い出して
ひとこと言ってくれれば
私はあなたのもとへ行く
ためらう必要なんてない
私の愛はいつもここにある
これから永遠に
あなたは私が生きる理由
そして心の奥深くに
あなたのためだけに燃え続ける炎がある
そして、あなただけ、ずっと永遠に
ずっと永遠に
あなたに友だちが必要なときは
最後までそばにいる
雨の日も晴れの日も
あなたの隣に立ち続ける、そう必ず
決して背を向けたりしない
私の愛はいつもここにある
今からずっと永遠に
あなたは私が生きる理由
心の奥深くで
あなたのためだけに燃える炎がある
ああ、永遠に
こんな気持ちになったのは初めて
あなたが優しく私を愛してくれるまでは
あなたは私の心が強く求める人
私に必要なのはあなただけ
ああ、永遠に
これからずっと永遠に
あなたは私が求め続ける存在
魂の奥深くで
あなたのためだけに輝く光がある
あなただけ、これから永遠に
ずっと永遠に… (拙訳)
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パフ・ジョンソンは1996年に”第二のマライア・キャリー”として大きく期待されてデビューしました。昔は期待の新人には”第二の〜”というキャッチコピーがよくつけられました。しかし、今になってその時代のことを振り返ると”第二の〜”というキャッチコピーはある種の”呪い”でしかなかったんじゃないかとさえ僕には思えてしまいます。
当時、僕は日本のレコード会社で彼女の担当者をやりました。ただ、僕が彼女に第二のマライアというキャッチコピーをつけたのではなくて、本国からそういう”お達し”のようなものがあったと記憶しています。ただ、当時の僕もそういう感じで売り出すんだなと、なんの抵抗もなく受け入れてしまっていたのですが、、。
彼女の本名はエワンヤ(Ewanya)・ジョンソンで、”puff"はニックネームです。デトロイトで生まれ、ロサンゼルスで育っています。
幼い頃から音楽を学んでいた彼女は、13歳の時にモータウン・レコードから契約のオファーがありましたが、まだまだ遊びたい年頃だったのでしょう、契約することの責務が重すぎると判断して、最終的には断ったようです。
母親がダンサーだったことからダンスも習っていた彼女は、16歳の時に、当時大人気だったニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックの「ステップ・バイ・ステップ」のMVに参加したことをきっかけに振付け師としての活動も行っていました。
その後、さまざまなアーティストのバック・コーラスの仕事をやっていく中で、レコード会社との契約することになります。
ソロ・アーティストとしての最初の録音は、1994年に「JOYFULL CHRISTMAS」というクリスマス・アルバムで歌った「What Child Is This」でした。「グリーン・スリーヴス」の旋律に合わせて歌詞が書かれたクリスマス・キャロルで、日本では「御使いうたいて」というタイトルもついています。
1995年には、人種隔離政策が敷かれた南部からシカゴへ移住した黒人の姿を描いたTVミニシリーズ「The Promised Land」のサウンドトラックでダニー・ハサウェイの「Someday We'll All Be Free」を見事に歌っています。
同じ年にHIPHOP界の最大のカリスマ2Pacの「Me Against The World」にもボーカルで参加するなど、デビュー前の準備も入念だったと思います。
そして満を持して1996年にリリースしたデビュー曲がこの「フォーエバー・モア」でした。プロデューサーはナラダ・マイケル・ウォルデン。彼はホイットニーのデビュー曲「そよ風の贈り物(You Give Good Love)」を手掛けていますから、レコード会社は”第2のホイットニー”というラインも考えていたのでしょう。
興味深いのは「ミュージック・ウィーク」という雑誌で評論家のアラン・ジョーンズが彼女のことを、”Whitney Houston without the frills”、フリルのないホイットニー、すなわち余計な飾りのないホイットニー、と評していたことです。僕はすごく腑に落ちました。
パフ・ジョンソンは、飾り気のないホイットニーであり、マライアだったんです。でも、大衆は”飾り気(フリル)”のある歌の方に惹かれてしまうんですね。でも、”飾り気”が多い歌だと僕はすぐに”お腹いっぱい”になってしまうんです。余計な飾りがなく真っ直ぐ胸に届いてくる彼女の歌声が僕は好きだったんですよね。
ナラダ・マイケル・ウォルデンも彼女の歌声が最大限生かされることを考えて、この曲を作り、アレンジしたのでしょう。その結果、派手さには欠けるものになってしまった。でも消耗されにくい”スルメ”曲ではある、そんな気がします。
ちなみにタイトルの”Forever More”は”Forever”に比べると、”今この瞬間からずっと永遠に”、という本人の強い意志、決意が込められた文語的、詩的表現のようです。
パフ・ジョンソンがデビューしたタイミングは、アリーヤ、モニカ、ブランディといったHIPHOPとリンクした新しいタイプの女性ヴォーカルがどんどん出てきていて、「Foreve More」はタイトルも曲調もいくぶん保守的だったのかもしれません。2PACと共演していたように、HIPHOP寄りでも十分対応できた人ではあったのですが。でも、彼女の持ち味を考えると、オーソドックスなスタイルの方が合っていたと僕は思います。彼女に対するプロデュースの方向性には間違いはなく、ただ時代とのタイミングが合わなかったのだと思います。
しかも、彼女の場合、歌えて、踊れて、デビュー作にして曲作りやプロデュースにも参加しています。デビュー時のインタビューで彼女は”もし本物のアーティストなら、曲作りやプロデュースのやり方も知っているべきだ”と語っていたほどです。
音楽的に万能であることが、即ヒットにつながるかというとそうではない、というのがこの世界の難しさです。前回このブログでご紹介した、ダニー・ハサウェイのように、音楽のあらゆる方面の才能がずば抜けた人でもヒット曲が出ずに苦しんでいたわけですから。
「フォーエバー・モア」が収録されたデビュー・アルバム「ミラクル(Miracle)」も素晴らしい出来でした。曲の良さ、アレンジ、ボーカル、すべてのクオリティが高く、新人らしい瑞々しさがありながら、全体のバランスも見事に取れた作品でした。しかし、”すごくよくできた作品”が決して売れるものではない、というのもこのビジネスでもあります。
アルバムのセールスは期待以下に終わり、その直後にリリースした映画の主題歌「オーバー・アンド・オーバー」もイギリスやヨーロッパではある程度はヒットしましたが、本国アメリカでは振るわずに終わってしまいます。そして、マイケル・ジャクソンのヨーロッパ・ツアーでオープニング・アクトをやったというニュースはありましたが、その後彼女の情報は途絶えてしまいます。
しかし、21世紀に入り、彼女は”裏方”として仕事をし始めました。2001年には女性二人組Pam&Dodiに「Give Him a Chance」という楽曲を提供し、2004年にはラッパーのI-20の「Kisha」という曲を共作しています。
そして、2005年にソウル・ディーヴァ、リーラ・ジェイムス(Leela James)のデビュー・アルバム「A Change Is Gonna Come」に3曲、共作者として参加、そのうち「When You Love Somebody」という曲ではバックグラウンド・アレンジメントでもクレジットされています。このコーラスはパフ・ジョンソンに間違いないでしょう。
たとえ裏方であっても少しずつ”復活”の兆しが見えてきた彼女ですが、その後、立て続けに大きな不幸が訪れてしまいます。2006年に婚約者だった音楽プロデューサーのキップ・コリンズがバイク事故で亡くなってしまい、2008年には自身が子宮頸がんであることが判明したのです。
2009年に彼女は、南アフリカに移住することを決めます。コンサートで訪れたヨハネスブルグで思いがけず温かく歓迎されたことに心を動かされたからでした。そして、そこでHIP-HOPアーティストのIshmael Morabeと親密に交際を始めますが、すぐに癌が再発してしまいます。Morabeは深刻な薬物依存症に苦しんでおり、彼女のケアを十分にできる状態ではなかったようです。その後、ビザの書類の問題で彼女は南アフリカからアメリカに送還され、故郷で最後の日々を送り、2013年の6月に40歳の若さで亡くなってしまいました。
彼女の訃報をレコード会社時代の同僚から聞いて、僕は呆然としてしまいました。自分が担当しながら成功に導くことができなかったアーティストというのは、心にいつまでも残っているものです。しかも、彼女の場合、楽曲も歌も彼女の人柄も僕は本当に大好きでしたから。
今YouTubeやサブスクを見ると、アルバム一枚で消えてしまったアーティストとは思えないほど、彼女の曲はたくさんの人に聴かれていて、あらためて「ミラクル」というアルバムは時間と共にすり減ることのない作品だったんだなと思います。
最後にアルバム「ミラクル」から2曲ご紹介させてください。どちらも、彼女が第2のマライアと呼ばれたことが納得できる歌いっぷりです。ただ、彼女の場合は、まっすぐなみずみずしさが魅力です。
「A Some kind of Miracle」。1980年代後半から1990年代にかけてNO.1ヒットメイカーだったダイアン・ウォーレンが書き下ろしたバラード。ケリー・クラークソンが2003年に全米NO.1になったデビュー・アルバム「Thankful」でカバーしていました。
「奇跡の恋人(God Sent You)」。日本では”ゼクシー”が監修しソニーから発売された結婚式向けのコンピレーションCDにも選曲されていましたが、海外では実際にこの曲を結婚式で使った人はけっこういるようです。
こちらはレコード会社の担当者としての彼女の思い出を書いたブログです。
パフ・ジョンソンのグルーヴのある曲の解説はこちらでやっています。

