おはようございます。
今日はニール・ヤングの「孤独の旅路(Heart of Gold)」です。
I want to live, I want to give
I've been a miner for a heart of gold
It's these expressions I never give
That keep me searchin' for a heart of gold
And I'm getting old
Keep me searchin' for a heart of gold
And I'm getting old
I've been to Hollywood, I've been to Redwood
I crossed the ocean for a heart of gold
I've been in my mind, it's such a fine line
That keeps me searchin' for a heart of gold
And I'm getting old
Keeps me searchin' for a heart of gold
And I'm getting old
Keep me searchin' for a heart of gold
You keep me searchin' and I'm growing old
Keep me searchin' for a heart of gold
I've been a miner for a heart of gold
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生きたい、与えたい
僕はずっとやさしい心を探す鉱夫だった
それは僕が決して言い表せないもの
それで僕をやさしい心を探し続けさせる
そして僕は年を取っていく
僕をやさしい心を探し続けさせる
そして僕は年を取っていく
ハリウッドにも行ったし、レッドウッドにも行った
やさしい心を求めて海も渡った
自分の心にも入ってみた、そこにはわずかな境界がある
それが僕をやさしい心を探し続けさせる
そして僕は年を取っていく
僕をやさしい心を探し続けさせる
そして僕は年を取っていく
僕をやさしい心を探し続けさせる
君が僕を探し続けさせる、そして僕は年を重ねていく
僕をやさしい心を探し続けさせる
僕はずっとやさしい心を探す鉱夫なんだ (拙訳)
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”Heart of Gold”とは英語で<心優しい人、思いやりのある心>を意味するそうです。
You have a heart of gold と言うと” You are very kind and generous(とても優しく寛大)”というニュアンスになるみたいですね。
ニール・ヤングはこの言い回しの「Gold」に注目して、優しさは「金」のようになかなか見つからないもの、でもとても価値のあるものであって、それを探す自分は金の採掘人みたいなものなんだという表現をしています。たぶん、それは英語圏の人にはすごくわかりやすいものだったのでしょう。
この「孤独の旅路」は今では彼の代表作であり、”ロックの名盤”の一つにあげられることも多いアルバム 「ハーヴェスト(Harvest)」からの最初のシングルとして全米1位になっています(今のところ、これが彼にとって唯一のNO.1曲です)。
「ヤングの伝説的同時代人、ボブ・ディランもこの曲に違和感を抱いていた。ディランは1985年に『Spin』誌でこう語っている。なぜこの曲が自分のものではなかったのかと疑問に思ったのだ。
「誰かが俺に似ていると気になったのは一度きりだ」とディランは語った。「72年頃、アリゾナ州フェニックスに住んでいた時だ。当時大ヒットしていた『ハート・オブ・ゴールド』がラジオで流れるたびに嫌だった。ニール・ヤングは好きだったが、『ハート・オブ・ゴールド』を聴くたびにイライラしたんだ」 長い間チャート1位だったと思う。その度に『くそっ、あれは俺だ。俺に似てる曲なら、俺が歌うべきだ』って言ってたよ」(American Songwriter January 31, 2022)
ニール・ヤングは若い頃ボブ・ディランに憧れ影響を受けたことが知られています。そのボブ・ディランが自分に似ていることを認めた曲がこの「孤独の旅路」だったわけです。
ちなみにこの曲のコーラスはジェームス・テイラーとリンダ・ロンシュタットがつとめています。
この頃のニール・ヤングは前作「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ(After The Gold Rush)」(1970)がヒットし高く評価されて大変注目を集めていたところに、この「孤独の旅路」とこの曲を含むアルバム「ハーヴェスト」によって、一気に大ブレイクしました。ビルボードの1972年の年間アルバムチャートではキャロル・キングの「つづれおり」やドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」などをおさえて年間1位に輝いています。1972年、最もアメリカで売れたアルバムが「ハーヴェスト」だったわけです。
ニールは「ディケイド(Decade)」と言うアルバムのライナーノーツでこの曲についてこう語っていたそうです。
「この曲のおかげで僕は真ん中の道に立つことになった。けれども、そこを旅するのはすぐに退屈になったから、僕は溝(Ditch)の方へ向かった。道のりは荒っぽかったけれど、そっちの方がもっと面白い人たちに出会えたんだ。」
音楽の世界でメジャーになることは、彼にはしっくりこなかったんですね。そして、その後の彼は優れたポップソングを書く技量を持ちながら、それをあえて封印するような作品を出し続けます。その後のアルバム3作を『時は消え去りて(Time Fades Away)』(1973)、『渚にて(On the Beach)』(1974)、『今宵その夜(Tonight's the Night)』(1975)を海外ではThe "Ditch" Trilogy (”溝”三部作)なんて呼んでいるようです。「ハーヴェスト」のような作品は1992年の「ハーヴェスト・ムーン」のリリースまで待たなくてはいけなかったんですよね。
さて、「ハーヴェスト」からもう1曲。「孤独の旅路」の次のシングル「オールド・マン(Old Man)」を最後に。
”じいさん、僕の人生を見てくれ 僕は、かつてのあなたにとても似ている”そんなふうに歌っています。彼の初期の作品「シュガー・マウンテン」でも「孤独な旅路」もそうですが、若い頃のニール・ヤングは”歳をとること”をものすごく敏感だったんじゃないかって、僕は思ってしまいます。
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