まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「渚のラブレター」沢田研二(1981)

 おはようございます。

 今日は沢田研二の「渚のラブレター」です。

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レコーディング音源の動画は貼り付けられなかったので、こちらから

https://youtu.be/ZYdVLI4xNb8

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 矢沢永吉ももちろんすごいんですけど、僕が個人的に思う、日本最高のロック・ヴォーカリストはこの人です。リアルタイムで彼をTVで見て”魔法にかけられてしまった”人は、少なくなかったでしょう。

 シングルごとにコンセプトをがらっと変え、それに合わせたコスチュームやメイクでも毎回びっくりさせてくれる。40年も経った今振り返ってみても、こんなアーティストは日本では結局彼ただ一人しかいなかったですね。

 彼の場合そういったヴィジュアル面に話題がいきがちだと思いますが、彼の場合何より歌声そのものが素晴らしいのだと思います。例えばこの「渚のラブレター」のサビの高音の声の響き方は、繊細で美しい生地のような不思議なつややかさを感じます。

 

 しかし、今回は作曲家としてのジュリーに焦点を合わせてみたいと思っています。

彼自身で作曲したもので、初めてヒットしてのはこの曲でした。

 

「コバルトの季節の中で」(1976)オリコン7位。作詞は演出家の久世光彦

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  この曲だけで、彼が優れた作曲家であることがわかるように思います。ちなみに、この曲の入ったアルバム「チャコール・グレイの肖像」は全曲彼が作曲を手がけています。

 翌年の「勝手にしやがれ」の大ヒット以降、ビジュアル戦略が本格的に始まり、彼はシンガーに徹していきます。曲作りをできる時間もなかったでしょう。

 再び彼が自作曲をリリースし始めたのは、1980年代に入ってから。「酒場でDABADA」や「おまえがパラダイス」のB面に入れた後、伊藤銀次が全曲アレンジしたアルバム「G.S.I LOVE YOU」の表題曲とオープニング曲を書いています。

 ちなみに、「G.S.I LOVE YOU」はブレイク以前の佐野元春が参加し、のちに彼自身がセルフ・カバーをする「彼女はデリケート」「I'm In Blue」「Vanity Factory」が収録されています。

 そして、「G.S.I LOVE YOU」の流れで、次のシングルに決まったのがこの「渚のラブレター」でした。

 アレンジは伊藤銀次で、それまで沢田研二のバックバンドだった、吉田建西平彰、柴山和彦に加え、新たにムーンライダーズのギタリストの白井良明と、この当時、山下達郎のバックやプリズムでドラムをやっていた青山純というメンバーでレコーディングされたそうです。

 プロデューサーの木崎賢治と加瀬邦彦は、当時人気が出ていたのパンク、ニューウェイヴの過激さを沢田研二の楽曲に

「”渚のラブレター”はもともとカンツォーネみたいなメロディの曲だったので、これをイギリスっぽく料理するのはなかなか難しいなと思ったんですけど。良明君のエイドリアン・ブリューロバート・フリップに通じる色が入ると良いミスマッチで、メロディの良さも残しつつとんがってて。そのときもやっぱり木崎さんと加瀬さんのオーダーは「過激」でしたから、間奏は歌のメロディをロバート・フリップ的な音色で、フレージングはエルモア・ジェイムスで弾いてくれって良明くんにお願いして。普通のスタジオ・ミュージシャンだったら訳がわかんなくて弾けないと思うんですけど、良明君は「了解!」って、いとも簡単に弾いちゃった。素晴らしかったですよ」

 (伊藤銀次 自伝 MY LIFE,POP LIFE)

 

 確かに、曲調は1960年代のポップスの感じがありますが、アレンジ、特にギターの音がものすごく尖っていますね。

 それから、この曲のデモテープは沢田研二には少し高く、キーを一音下げてアレンジしなければいけなかったのを、伊藤が忘れてそのままのキーでアレンジしてしまったのだそうです。

 しかし、沢田は快く歌ったそうです。

佐野元春の「彼女はデリケート」などを歌ううちに、高音が出るようになったのではないかと伊藤は推測しています)

 

「”渚のラブレター”は高音に物凄く伸びがあって、聴いててめちゃくちゃ気持ちがいい曲ですよね。あの曲はアレンジの力はささやかなもので、沢田さんの艶のある、綺麗な高音の魅力でヒットしたんだと思います」

 (伊藤銀次 自伝 MY LIFE,POP LIFE)

 ミスがかえって、沢田の声の魅力を引き出す結果になったんですね。不思議なものです。

 その後、「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」、「麗人」と3曲続けて自作曲をシングルにしヒットさせた後、三浦百恵が作詞したアン・ルイスの「ラ・セゾン」も手がけ、作曲家沢田研二はこの時期にピークを迎えるわけです。

 

 これは完全に僕の推測でしかないですが、70年代には歌謡曲人脈のシステムで制作していた彼が、伊藤銀次佐野元春白井良明といった違うフィールドのミュージシャンと交流したことで、本来持っていた彼の作曲家の才能が化学反応を起こしたのではないか、そんな風に思えます。

 

 最後は「渚のラブレター」と並ぶ傑作「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」を。

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