おはようございます。
今日はダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」を。
Sunday morning, up with the lark
I think I'll take a walk in the park
Hey hey hey, it's a beautiful day
I've got someone waiting for me
And when I see her I know that she'll say
Hey hey hey, what a beautiful day
Hi hi hi, beautiful Sunday
This is my my my beautiful day
When you said said said said that you loved me
Oh my my my its a beautiful day
Birds are singing, you by my side
Lets take a car and go for a ride
Hey hey hey, it's a beautiful day
We'll drive on and follow the sun
Making Sunday go on and on
Hey hey hey it's a beautiful day
Hi hi hi, beautiful Sunday
This is my my my beautiful day
When you said said said said that you loved me
Oh my my my its a beautiful day
Hi hi hi, beautiful Sunday
This is my my my beautiful day
When you said said said said that you loved me
Oh my my my its a beautiful day
Hi hi hi, beautiful Sunday
***********************************************************
"日曜日の朝 ひばりの声とともに目覚めた
公園に散歩にでも行ってみようかな
ヘイヘイヘイ、素晴らしい日じゃないか
僕を待ってくれている人がいる
会ったら、彼女はきっとこう言うのさ
ヘイヘイヘイ、なんて素敵な日なんでしょう
やあ!素晴らしい日曜日
これが僕の最高の一日
君が僕を愛しているって言ってくれたから
それはもう素晴らしい日だよ
鳥たちは歌い となりには君がいる
車でちょっとドライヴしよう
ヘイヘイヘイ、素晴らしい日じゃないか
*************************************************************************
今聴くとびっくりするくらい明快で陰のない歌です。
そして、これが日本の洋楽史上最大のヒット曲です。
オリコン総合チャートで15週もの間1位を独走し、 シングルの売り上げ総数は192万4千枚で、洋楽の史上2位がセリーヌ・ディオンの「トゥ・ラヴ・ユー・モア」(126万4千枚)3位がマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」(109万4千枚)ですから、”CDバブル期”の大ヒット曲を遥かに突き放すような売れ方をしています。
この曲が大ヒットした1976年のヒット曲を見てみると、年間1位は日本の音楽史上最大のヒット曲「およげ!たいやきくん」(453万6千枚)で、2位がこの「ビューティフル・サンデー」、3位が都はるみの「北の宿から」(87万6千枚)4位が太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(86万7千枚)で、国民的ヒットだった「北の宿から」や「木綿のハンカチーフ」の倍以上売れているというのはちょっと普通じゃない感じがします。
しかも、”歌のおにいさん”田中星児がカバーしたヴァージョンも51万9千枚も売れているのです。
当時僕は小6で、夏休みのラジオ体操の会場や、運動会でも「ビューティフル・サンデー」がかかっていたような記憶はあるので、相当なヒットだったとは思うのですが、それにしても、、と思ってしまう爆発的な売れ方です。
ダニエル・ブーンはイギリスのシンガー。本名はピーター・チャールズ・グリーンといいます。1950年代終わりころから音楽活動を始め、1963年にリー・スターリングという芸名にしてレコードを出しています。
Lee Stirling - My Heart Commands Me - Columbia : DB 4992 DJ (45s)
その後、ピーター・リー・スターリングという名前でリリースを続けますがヒットを生み出すことはできませんでした。しかし、作家としてはマージービーツの「I Think Of You」(全英5位)などいくつかヒット曲を書いています。
1971年に彼は、キンクスのマネージャーとして知られるラリー・ペイジのレーベルと契約、その際に芸名を、アメリカの西部開拓期のヒーローの名前である”ダニエル・ブーン”に変更します。
そこでの第一弾シングル「Daddy Don't You Walk So Fast(行かないでパパ)」は全英17位のスマッシュヒットを記録しました。
Daniel Boone - Daddy Dont You Walk So Fast
そして1972年、彼がロッド・マックィーンと共作した「ビューティフル・サンデー」を聴いたスタッフはヒットを確信し、翌週にはレコーディングしたそうです。そして、曲はイギリスで21位までしか上がりませんでしたが、アメリカでは15位、そして、ドイツ、ニュージーランド、ノルウェイ、南アフリカでは1位になるなど世界的な大ヒットになりました。
このタイミングで日本でも「すてきなサンデー」という邦題でリリースしたそうですが、ほとんどヒットしませんでした。
ヒットするのは4年後の1976年、TBSの朝の情報番組『おはよう720(セブンツーオー)』内の看板コーナー「キャラバンII」(車でユーラシア大陸を横断する企画)のテーマ曲になったのです。これは西ドイツのロケで現地ドライバーが車でかけていたのを番組スタッフが”やる気が出る曲だ”と気に入ったことがきっかけだったそうです。
シングルを発売するとすぐさま爆発的に売れたそうですから、番組の影響で発売前から相当盛り上がっていたのでしょう。
そして2週間後には日本語のカバーが2ヴァージョン発売されます。
ひとつは最初に触れた田中星児のカバー。彼は「おはよう720」が終わった後同局の8時からの番組「8時の空」に出演していて、「8時の空」のテーマとのカップリングでリリースしています。
当時から「すば!すば!すば!すばらしいサンデー」という言葉のはめ方の猛烈な違和感が、心にずっとひっかかっていました。しかし考えて見たら、強引でもなんでも、聴き手の記憶に残れば、ヒット・ソングとしては”勝ち”なんでしょうね。訳詞は「亜美ゆう」という名義になっていて、これは田中星児ご本人との説もありますが真偽はどうなんでしょう?
そして同日に発売されてなかなかヒット(オリコン9位)したのがトランザムのカバー。
今では後藤次利が在籍していたことで知られていて、当時たくさんのCM曲を歌っていたバンドでした。
”隣に住んでる 下宿屋のマドンナ ヘイ ヘイ ヘイ 出ておいでよ
カーテンとざして あなたは泣くだけ ヘイ ヘイ ヘイ 訳きかせて”
田中星児の歌詞は原曲のイメージに近いのに対してこちらの歌詞は、かなり独自の世界に行っています、、。歌詞は松本隆、なるほど、という感じですね。
そのほか当時のNHKの歌番組「ヤング101」のメンバーや、「北の宿から」が大ヒット中だった都はるみまでカバーしています。
まず、番組タイアップでの盛り上がりがあって、それを日本語カバーがいちだんと盛り上げていった、という流れがあったわけです。
ただ、それだけでは200万枚近い特大ヒットとなった根拠としては、何か足りない気がします。
僕が興味を持ったのは、この曲が”メジャーで明るい”ことです。この時代の大ヒット曲の中ではかなり異例だと感じるほどです。
1970年代前半の年間オリコンチャートを見直すと、演歌、歌謡曲、フォーク、びっくりするくらいマイナーキーの叙情的な曲で占められていることに気づきます。
「およげ!たいやきくん」だってマイナーキーですし。
洋楽でも「ビューティフル・サンデー」以前の最大のヒットを調べてみると、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」(81万枚)で、洋楽も叙情的なメロディのもののほうが日本では売れる傾向が強かったわけです。
マイナー調が日本人の本来の気性に合うのは間違いないですが、そういう曲があまりに多すぎて、さすがに”揺り戻し”もあったのかな、などとも思います。
(「木綿のハンカチーフ」や、あおい輝彦「あなただけを」などメジャーで軽快な曲が他にもヒットしていましたし)
それまでのオリコン年間シングル・チャートの1位は、さくらと一郎「昭和枯れすすき」(1975)殿様キングス「なみだの操」(1974)ぴんからトリオ「女のみち」(1973)という風に、演歌の中でも一番”ベタで濃いもの”が売れていたわけですから。
そして、1973年のオイルショックで落ち込んだ景気が順調に回復してきた時期でもありますから、社会的にもパッと前向きな歌のニーズがあったのかもしれません。そんなとTVで毎朝元気になる曲としてイメージが作り上げられ、同時に「明るく楽しい日曜日」というテーマを持っていたこの曲はまさにうってつけだったのでしょう。
個人個人が自分の好みで欲していたものではなく、社会全体のムードが欲していた歌、だったのじゃないかと、僕は推測するのです。その大きなムードに大衆が同調していった、と。おかしな表現になってしまいますが、”公共ポップス”とでもいいますか。
でなかったら、あれほど公共の場でこの曲を耳にするはずはないと思うのです。
そんなことを考えると「ビューティフル・サンデー」人気は、洋楽というくくりとはほとんど関係のないものじゃないかとも思うのですが、だとしたら一層親しみやすい田中星児の方が売れても良さそうなものですから、洋楽であることがなにかプラスに働いたのも間違い無いでしょう。
この曲以降で、これに近いウケかたをしたのは「YMCA」だったように思いますが、こちらは西城秀樹のカバーの方が全然売れていましたし。
毎朝TVで海外を冒険し旅する映像とともにこの曲が流れていたことが、大きいのかもしれません。
”ど演歌”に象徴されるようなドメスティックな閉塞感から、解放されたいという気分があったのでしょうか。そのために洋楽の方がよかった、と。あくまでも僕の想像ですが。
「ビューティフル・サンデー」の次にこの年に売れた洋楽はジグゾーの「スカイ・ハイ」でした。人気プロレスラーのテーマ曲として火がついたものでしたが。ともかく、日本人らしいウェットな叙情的なものから、抜け出そうというムードが、この当時やはりあったように僕は思います。
そういえば、「ビューティフル・サンデー」を耳にすることが本当になくなったなあ、などと思いながら、この曲のことを調べていたのですが、びっくりするような事実を知りました。この曲が伊丹市などで「盆踊り」のレパートリーとして定着しているというのです。田中星児のヴァージョンのほうですが。
この曲、やっぱり、もはや洋楽じゃないのかもしれないですね。