おはようございます。
今日もフレンチ・ポップの代表作を。フランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」です。
France Gall - Poupée de cire, poupée de son (1965) Stéréo HQ
原題「Poupée de cire, poupée de son」の”Poupée”は人形、”cire”は蝋、”son”は
音、もしくは「ふすま(小麦を製粉した時にふるい分けられる糠)」のことで、人形の詰め物になる籾殻、木屑全般を意味することもあるそうです。詰め物をした布製の人形、英語圏で言う、ラグ・ドールなのでしょう。
ですから「私は蝋人形、私はラグ・ドール」という歌なのです。
ただし、sonは音という意味もあるので、音の出る人形、歌う人形、という二重の意味があるのではないかと、推測されているようです。
ちなみに邦題は
Mon cœur est gravé dans mes chansons(私の心は私の歌に刻まれている)
というフレーズがあるので、そこから”シャンソン人形”とつけられたのかもしれません。
これは、作詞、作曲家、シンガーで俳優でもあるセルジュ・ゲンズブールの作品で、彼の名を一躍広めることにもなりました。
彼は当時すでに37才で、20代半ばからミュージシャンを始め、30才で初めてアルバムを出すという遅咲きのアーティストです。ジャズやシャンソンをベースにした、完全に”大人な音楽”をやっていたのですが、商業的な成功は得られず、この18才の女の子に書いたポップスで売れるわけですから不思議なものです。
しかし、十代の女性シンガーに「私は蝋人形、私はラグ・ドール」と歌わせているところに、すでに30代後半だった彼の幾分醒めたスタンスと皮肉な視点を感じます。
フランス・ギャルはシルヴィ・ヴァルタンの3才下で、シルヴィ同様、当時大流行した音楽スタイル”イェイェ”の中心アーティストとして大人気でした。
彼女の本名はイザベル・ジュヌヴィエーヴ・マリ・アンヌ・ギャルで、父親のロベール・ギャルは有名な作詞家でした。
彼女がデビューするにあたり、イザベルという名前の人気歌手がいるので芸名が必要だということになりました。そのときロベールがスタッフと一緒にたまたま聴いたラジオで「フランス対ウェールズ」の試合をやっていました。ウェールズはフランス語GALLES(発音はギャル)というので、洒落で”フランス・ギャル”にしたそうです。
フランス・ギャルは実は”フランスVSウェールズ”という意味だったんですね。
ゲンズブールはロベールの知り合いだったことから、曲を依頼されたようで、彼女のセカンド・シングルはゲンズブールの作品でした。
France Gall - 1965 - N'écoute pas les idoles (Stéréo)
タイトルの「N'écoute pas les idoles」は日本語では”アイドルのいうことを聞くな、耳を貸すな”ということらしく、ゲンズブールは最初から”皮肉”なスタンスで書いていたわけです。
今でこそ、日本でもアイドルが皮肉や自虐を歌うことはめずらしくなくなりましたが、昔は清廉潔白主義で、小泉今日子が「なんてったってアイドル」と歌うだけでびっくりしたわけですから、それに比べると、フランスの文化の成熟ぶりはさすがです、、。
この曲はユーロビジョン・ソング・コンテストでグランプリを獲得したことがきっかけで世界中で大ヒットしました(このコンテストからは1970年代にはアバが出てきます)
日本でも大ヒットし、岩谷時子が歌詞を書いた日本語ヴァージョンも作られ、フランス・ギャル本人が歌っているほか、日本人も数多く取り上げています。
フランス・ギャル 夢見るシャンソン人形(日本語)1965 / Poupee de Cire Poupee
その後、ゲンズブール作の「涙のシャンソン日記(Attends ou va-t'en)」もヒットしましたが、翌年リリースされた同じくゲンズブール作の「アニーとボンボン(Les Sucettes)」は物議を醸すことになりました。
FRANCE GALL - Les sucettes (Videoclip).avi
ロリポップ(ペロペロ・キャンディ)をテーマにしたこの曲に、ゲンズブールは意図的に卑猥な隠喩を込めていましたが、それに気づかなかった彼女は無邪気に歌い、後になってその事実を知って、もうテレビに出たくないと思うほどショックを受けたそうです。
そのこともあって、彼女はそれまでの自分のレパートリーを、大人にやらされていたものとして、愛着が持てなくなってしまったのです。
しかし、1973年にミッシェル・ベルジェというプロデューサー / シンガー・ソングライターと出会うことで、それまでとは別人のようなアーティストになることができたのです。
彼女の再出発アルバム「フランス・ギャル」のオープニング曲で、シングルにもなった「新しい愛のはじまり(Comment lui dire)」。
France Gall - Comment lui dire (1976)
そこには、もうかつての”ロリータ”っぽいスタイルの彼女はいませんでした。そして、1976年に結婚した彼女とベルジュの共同作業は、彼が1992年になくなるまで続き、二人の作品は今ではフランス本国で「恋するシャンソン人形」時代に負けないほどの人気があるそうです。