まいにちポップス(My Niche Pops)

令和元年初日から毎日更新中〜1日1ポップス。エピソード、歌詞の和訳、謎解き、マニアックな捜査、勝手な推理、などで紹介していきます。text by 堀克巳(VOZ Records)

「サニー(Sunny)」ボビー・ヘブ(1966)

 おはようございます。

 今日はボビー・ヘブの「サニー」です。


Sunny

 ”サニー 昨日 僕の人生はずっと雨が降りっぱなしだった

  サニー   君は微笑んでくれたから 痛みがやわらいだ

  もう暗い日々は過ぎ去って 光輝く日がここに

     僕の太陽のような人 心から輝いている

  僕の太陽のような人  心から愛している

 

 サニー 陽射しの花束をありがとう

 サニー 愛を届けてくれてありがとう

 君は君のすべてを僕にくれた

 だから僕は最高の気分さ

 僕の太陽のような人 心から愛している

     

 サニー 君が教えてくれた真実にありがとう

 サニー 何から何までありがとう

 僕の人生は 風に運ばれた砂のようにかき乱されていた

 そして君と手を握ったら それは岩になった

 僕の太陽のような人 心から愛している

 

 サニー 君の顔に浮かぶ微笑みにありがとう

 サニー ありがとう、君の優美さが流れ出るそのきらめきにありがとう

    君は 自然に生まれた炎で僕に火をつけた

 君は 僕の優しく完璧な欲望

 僕の太陽のような人 心から そう 愛している

 

  サニー 昨日 僕の人生にはずっと雨が降っていた

  サニー   君は微笑んでくれたから 痛みがやわらいだ

  もう暗い日々は過ぎ去って 光輝く日がここに

     僕の太陽のような人 心から輝いている

  僕の太陽のような人  心から愛している “        (拙訳)

 

 ボビー・ヘブテネシー州ナッシュビル出身の黒人R&Bシンガー。彼の両親は共に盲目のミュージシャンだったそうです。

    音楽で成功することを夢見ていた彼はニューヨークに行き、そこで様々なミュージシャンと知り合います。1960年代はじめに三枚ほどシングルをリリースしていますが、成功することはできませんでした。

 

 この「サニー」は1963年に彼が書いたと言われています。ケネディ大統領暗殺の翌日にナイトクラブで殺された彼の兄ハロルドを偲んで作られたと広く信じられていましたが、本人は兄の死はこの歌に直接影響はしていないと言っています。

 

 また、彼は「サニー」の解釈についてこう語っています。

 

「 "サニー”とは人間の性質のことなんだ。人は皆明るくていい面と悪い面の両方を持っている。例えば君が誰かに向かって怒って声を荒げるのか、それとも、いやいや俺は怒っていない、お互いにとってちょうどいい気持ちのいい方法はないか一緒に考えようよ、と言うのか。その気持ちのいい方法こそが、明るい(Sunny)性質ってことなんだ。

 混乱させ、カオスを作る代わりに、今日をみんなにとっていい日にしよう、っていう。もう少しリラックスできて、カオスに侵されないようなタイプのニュースを世の中に広げるんだ、カオスは人を殺すこともでききるんだから」

 

 これは2000年頃のインタビューでの発言で、リリースから30年以上が過ぎて「サニー」がすでに大スタンダード曲になっていたときですから、彼の解釈も彼自身のことを離れて”大きく”なっているような気がします。

 世の中を暗くさせたケネディの死に彼の大切な兄の死が重なった辛い時に、自分の中にある明るい面を望む気持ちは彼にとって切実だったはずで、そういうパーソナルな思いが、やはりこの曲を生み出すきっかけだったように僕には思えます。

 

 それを考えると、悲しげな曲調にポジティヴな歌詞を乗せたことの”切実さ”がいっそう増して伝わってくるようと思うのです。

 

 しかし、彼自身の解釈にのっとって、この「サニー」を自分の中にある”明るくて平和な面”に呼びかけて呼び起そうとする歌だと考えることもすごく素敵なことのように思えます。特に今のような時代では。

 

 

 さて、アメリカの著作権団体BMIが発表した20世紀に最も多く演奏され、放送された曲ベスト100の25位になり、カバー・ヴァージョンが500以上あると言われているこの「サニー」を一番最初にレコーディングしたのは、実は日本人でした。

 

 それが弘田三枝子。「ニューヨークのミコ〜ニュー・ジャズを歌う」という1966年発売のアルバムに収録されています。「人形の家」「渚のうわさ」などより以前ですね。

 「サニー」は”ニュー・ジャズ”と解釈されていたわけですね。


SUNNY

 1965年にニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演するため渡米していた彼女がビリー・テイラー・トリオをバックに歌ったもの。彼女は当時18歳だったといいますから驚かされます。「サニー」はまだ未発表曲でしたから、経緯はわかりませんが、ミュージシャンかアメリカサイドのスタッフがボビーのことを知っていたのかもしれません。

  翌1966年には、ジャズ・ヴィブラフォン奏者デイヴ・パイクがこの曲を取り上げます。弘田と同じドラマー、グレイディ・テイトがたたいていますので、そのあたりでつながったのかもしれません。


Dave Pike - Sunny

 

 そして、同じ1966年ようやくボビー自身がレコーディングをすることになります。

 注目したいのがプロデューサーのジェリー・ロス。

 このブログでも彼の手がけたキースとスパンキー&アワ・ギャングを紹介していますが、胸ときめくようなポップスを数々手がけている人です。

popups.hatenablog.com

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  ジェリー・ロスはフィラデルフィアでインディペンデントでヒットを作っていましたが、そこに目をつけたマーキュリーレコードがA&Rとして彼を雇い、ニューヨークに呼びます。

 そしてその最初の仕事がボビーだったらしく、最初に彼の作った曲を全部聴かせてもらったそうですが、強力な魅力があって歌詞もよくスタイルがあると思ったのがただ1曲「サニー」だったそうです。

 

 素晴らしいアレンジはジョー・レンゼッティ。もともとジェリーの片腕として数々の仕事を共にしてきた人です。ジェリーより前にニューヨークに移って活動していたので、ジェリーにとっては好都合だったのでしょう。

 ちょうど同じ年のキースの「98.6」でもジェリー・ロスはジョーをアレンジャーに起用しています。(ちなみに、「サニー」のバック・コーラスはアシュフォード&シンプソンとメルバ・ムーアだったそうです)

 そして、ボビーにもキースに似たポップな曲も歌わせているんです。ロスとレンゼッティの共作で、レイ・ホフ&ザ・オフ・ビーツというバンドに歌わせていた「Love Love Love」と言う曲です。映像のボビーの佇まいも合わせて、ホント最高なんです。


Bobby Hebb - Love Love Love

 

 さて「サニー」に話を戻します。

 この曲は、”ステイ・ホーム”期間中にビリー・アイリッシュがカバーした動画をアップして大きな話題になっていましたね。

 ボビー自身は2010年に亡くなってしまっていますが、2000年のインタビューでは、ナンシー・ウィルソン、フランク・シナトラ、シェール、ビリー・プレストン(カッコいいライヴ・ヴァージョンです)などが好きで、レイ・チャールズにもカバーしてほしかったな、などと語っています。

 個人的にはジョージー・フェイムのカバーが好きです。

 ボビー自身のお気に入りの中から、エラ・フィッツジェラルドトム・ジョーンズがTV番組で共演したものを。

 この曲の持つ、悲しげなトーンがほとんど吹っ飛んでしまっています、、。


Tom Jones and Ella Fitzgerald swing Sunny

  最後はボビーが1976年にリリースしたリメイク・ヴァージョンを。


Bobby Hebb - Sunny '76

 

 

 

Sunny

Sunny