おはようございます。
今日はゴダイゴ。
1970年代半ばから後半にかけての日本のポップ・ミュージックは、とにかく洋楽に近づこう、というのが一番の命題だったように思います。
それまで人気の高かった、日常的で叙情的なフォークソングを押しのける勢いで、そういうアーティストが現れました。当時中学生だった僕は当然そっちの方が断然かっこよく見えました(そしてその価値観は、結局ずっと今も残っている気がします)。
その”洋楽に近い日本のポップス”を最も象徴したのが彼らだったと思います。
これは彼らのデビュー・アルバムのオープニング・ナンバーでした。
”君がもしあの道に通りかかかったなら あの田舎の一角にある場所さ
僕の頼みを聞いてくれるかい?僕の頼みを聞いてくれるかい?
僕の代わりに見て欲しいんだ
僕の代わりにちょっと見て確認して欲しい
あの古い柳の木 僕が昔よく揺らしたやつさ
今もまだ優美な姿で立っているんだろうか?
それから近くにある小川
おたまじゃくしがいっぱいいて 僕はよく捕まえたものさ
家に持って帰って 育つのを見守った
結局みんな死んじゃったけど
もし君があの道を通っているなら
ただ知りたいんだ 確かめたいんだ みんな今も大丈夫なのかって?”
(拙訳)
もともとボーカルのタケカワユキヒデがソロ・アーティストとしてデビューし、その音楽監督をミッキー吉野がやり、演奏をミッキー吉野グループが手がけていました。もともと吉野は自身のバンドにギターの浅野孝已を誘っていましたが、浅野は別のバンドにいたため一旦断ります。しかし、吉野は浅野のために正規ギタリストのポジションを空けて、その間サポートでうめていたそうです。一年ほどして浅野のバンドが解散になり、ミッキー吉野グループに参加することになり、タケカワのバックを始めます。
そして、タケカワの2作目のアルバムを作り始めますが、メンバー全員でムーヴメントを起こそうということになり吉野の発案でグループ結成に至ったそうです。
そのタケカワの2作目からゴダイゴのファースト・アルバムへと移行して作られたのが「新創世記」というアルバムです。
タケカワのデビュー・アルバム「走り去るロマン」(1965)は全曲英語詞の作品で、
彼は自身のHPでこう書いています。
「当時の僕は、誰も成功したことのない、『日本人の英語のオリジナル・アルバム』を成功させる、ということだけに、ひどくこだわっていたし、その結果、日本人では誰もやっていなかったことのない、新しい挑戦的なアルバムを作った気になっていた」
それは彼の子供の頃からの夢でもあったようで、ネットのインタビューでこう語っています。
「子供の頃、アメリカのヒットチャートに夢中だったんです。日本にはオリジナルでそういう音楽がなかったから。11歳くらいの頃にビートルズも出てきて……当時のアメリカのチャートに上がる曲には本当にワクワクしたんですよ。僕もその頃に作曲をはじめたんだけど「自分もチャートに上がるような曲を書きたい。誰かがやる前に早くやりたい。」と思ってましたね」
「アメリカで流行る曲と同じグレードと、ワクワク感と、楽しさと、簡単さとをあわせ持った曲を自分でも作りたくなったんです」
そしてその考えにはバークレーで学んだ吉野とも共通するものだったはずですし、メンバーに外国人が二人入ることで、そのスタイルはより強化されていったわけです。
念願の日本人による英語詞のヒット曲が実現するのは「モンキー・マジック」まで、待たなければいけなかったわけですが、彼らの音楽は映画、TV、CM制作者たちに最初に興味を持たれ、それが少しずつブレイクへと繋がっていきます。
僕も「モンキー・マジック」から彼らを知った人間なので「新創世記」は聴いていませんでした。
僕がこの「想い出を君に託そう」を初めて聴いたのは、「青春の殺人者」という映画でした。1976年の映画ですが、僕が観たのは1983年頃高田馬場の名画座でした。
オープニングで主人公の水谷豊が雨の中傘を歩いて歩いているシーンにこの曲が重なるだけなのですが、なんか妙に心に残るものだったのをよく覚えています。
「モンキーマジック」「ガンダーラ」以降の圧倒的にポップな曲より、初期の何か儚げな情感のある曲の方が今も好きだったりします。
あと、このころのゴダイゴが関わった映画というと、今年4月に亡くなられた大林宣彦監督の商業映画第1作にあたる「HOUSE」が印象深いです。
特にオープニングテーマは、インストで作曲は小林亜星ですが、アレンジを吉野、演奏をゴダイゴが務めています。関係ない話ですが、大瀧詠一の「スピーチ・バルーン」とこの曲が、時々”ごっちゃ”になってしまうことがあります、、。
House (Hausu, 1977) - Main Theme