おはようございます。
今の世の中の情勢の中で、知っていた曲が以前とは違って聴こえてくる気がしますが、その中でも特に強い説得力を持って響いたのが、スライ&ザ・ファミリーストーンでした。彼らのレパートリーの中でも特に明快なメッセージを持った曲として人気の高い「エブリデイ・ピープル」をピックアップします。
Sly & The Family Stone - Everyday People (Music Video)
” オレが正しい時もあるけど 間違ってしまう時もある
オレの信念はオレの歌の中にあるのさ
肉屋、銀行員、ドラマーでもなんでもいい
どのグループにいたって違いなんて全然ないんだ
オレはみんなと同じ普通の人間さ
緑色のヤツを受け入れられない青色のヤツがいる
太ったヤツと暮らしているから 痩せようとがんばっているんだってさ
十人十色とか、そういうことさ
みんな一緒に生きていかなきゃいけないんだ
オレはお前より優れちゃいない お前だってオレより優れちゃいない
みんな同じなんだ なにをやろうとね
オレを好きでも嫌いでもオレのことを知っていようがいまいが
オレが夢中なことを理解はできないよ
オレは一般ピープルさ
貧乏人を助けようとしない金持ちだからって
短い髪の連中を嫌っている長髪のヤツがいるんだぜ
十人十色とか、そういうことさ
みんな一緒に生きていかなきゃなあ
黒い人を受け入れない黄色い人がいて
その黒い人は赤い人を受け入れようせず
その赤い人は白い人を受け入れようとしない
十人十色とか、そういうことさ
ああオレはただの普通の人間さ ” (拙訳)
肌の色や信条が違っても一緒に生きていかなくちゃいけない、みんな同じ普通の人間なんだから、というこの歌のメッセージの普遍性は高く、長い間カバーされ続けてきました。このオリジナル自体も1969年に4週連続全米1位、年間チャートも5位と大ヒットしました。
ここでは"十人十色"と訳しましたが
”different strokes for different folks”
という言葉が当時注目されたようですが、もともと60年代半ばごろから黒人の間で流行ったスラングのようです。
stroke、ストロークは、ゴルフやテニスなどの”ひと振り”や水泳やボートなどの”ひと掻き”といった意味で日本人は耳にすることの多い言葉ですが、他に一筆、脈拍などの意味もあるので、人が違えばペースもそれぞれ違う、というような意味なのじゃないかと僕は推測します。
この言葉を最初に有名にしたのはあのモハメド・アリだったようで、1966年のインタビューで使っています。
オレには強力なパンチはないから、相手が一発強いパンチを当てられたほうがよかったと思うほどのたくさんのパンチを当ててやるんだ、と彼は語り、ソニー・リストンやフロイド・パターソンといった強者をKOで倒したことについて
"I got different strokes for different folks."
と答えるのです。strokeには”打撃”という意味があるので、相手によってパンチを打ち分けるんだ、という意味で使っているわけです。やはり頭の”スマート”な人ですね。
あっ、いきなり脱線してしまいました(^^;
さてこのスライ&ザ・ファミリー・ストーンは、このフレーズにまさにぴったりなバンドでした。
メンバーは
スライ・ストーン(ボーカル、キーボードで曲を作る中心人物)
フレディ・ストーン(弟でギタリスト、ヴォーカル)
ローズ・ストーン(妹でキーボード、ボーカル)
*ストーンというのは本名じゃなく、バンド結成前から名乗っていた芸名です
シンシア・ロビンソン(女性トランペッター、ボーカル)
ラリー・グラハム(ベーシスト。チョッパー・ベースの弾き方を発明したことで有名)
この5人が黒人です。それに
グレッグ・エリコ (ドラマー)
ジェリー・マルティーニ(サックス)
の二人が白人(イタリア系)という構成でした。
黒人白人、男性女性、兄弟と他人、とまさに”混成”のバンドだったわけです。
もちろん、スライ・ストーンは自身が黒人であることを強く意識して音楽に反映させていますが、例えば”Don't Call Me Nigger,Whitey"という歌があるのですが、歌の中では”Don't Call Me Whitey,Nigger"という逆の言葉と敢えて交互の掛け合いにしています。
Don't Call Me Nigger, Whitey - Sly & The Family Stone
彼は黒人であることを強く自覚し差別には猛烈に反対しますが、黒人に限らずあらゆる差別を糾弾しようとする”中立の視線”を一貫して持っていた人のようです。
彼らは単に”人種性別を超えた混成バンド”というだけではなく、音楽性も既存のジャンルを超えたミックスされた革新的なものでした。
スライ・ストーン(本名シルヴェスター・スチュワート)はテキサス出身で音楽一家で育ち、幼い頃から兄弟で教会などで演奏活動をしていたそうです。その後、サンフランシスコに引っ越してからも教会で歌い続け、4人兄弟で”スチュワート・フォー”としてレコードを録音したりしていたそうです。ジャクソン・ファイヴを思い出しますね。
The Stewart Four - On The Battlefield
1960年代後半にロックの中心地になるサンフランシスコに引っ越してきたことは彼にとって重要なことでした。
その後、スライは学校でクラシックやジャズなどの音楽理論やレコーディング技術なども積極的に学んだようで、若くして卓越した音楽スキルを持つ人間として注目され、
オータム・レコードというレーベルにスタッフ・プロデューサーとして雇われます。
そして間もなくして全米5位まであがる大ヒット曲を書き、アレンジ、プロデュースを手がけます。
ボビー・フリーマンの「カモン・アンド・スイム」という曲です。
また、オータム・レコードにはのちにジェファーソン・エアプレインに加入するグレイス・スリックのいた”グレート・ソサイアティ”も契約していて「あなただけを」のオリジナル・ヴァージョンのプロデューサーはスライだったらしく、50テイク、一説には200テイク録音したという話があるそうです。
また彼はラジオのディスコ・ジョッキーとしても活躍し、スライ・ストーンという芸名を名乗っていたそうですが、その頃に新しいバンドのコンセプトを思いつきバンドのメンバーをかき集め結成したのが”スライ&ザ・ファミリーストーン”でした。
音楽家として卓越したスキルと知識を持ちながら、レーベルのプロデューサー、ラジオのディスク・ジョッキーとして様々な音楽をインプットしてきた彼だからこそ、全く新しい”ミックスチャー・ミュージック”が生み出せたのかもしれません。
デビューアルバムのタイトル「A Whole New Thing」(邦題「新しい世界」)も、彼の意気込みを示したものだったのでしょう。
デビュー・アルバムこそ売れませんでしたが、彼らはオリジナリティがありながらも大衆に強くアピールする作品を作るようになっていき、その最初の成果がこの「エブリデイ・ピープル」でした。
いろんな人間が混在しながら、何かひとつのトーンに歩み寄ってきれいに揃えるのではなく、それぞれの個性を自由に発揮していてしかもすごく雰囲気がいい、そんな音楽のあり方が、今の僕にはすごく魅力的に思えたのです。