おはようございます。
今日はPUFFY。
この曲は今でもたまに歌番組で聴くことはありましたが、この間本当に久しぶりにレコーディングされた音源を聴いたら、すごく良くできていてあらためてびっくりしました。いまさらなんですが、、。
サウンドはわざとE.L.O(エレクトリック・ライト・オーケストラ)風にしていて
その取り入れ方も見事です。
*E.L.Oはこんなバンドです。
Electric light orchestra - Don't bring me down video
「アジアの純真」の作曲、アレンジは奥田民生。ユニコーン時代からE.L.O風は何度かやっていましたね。
PUFFYのふたりも、その後独自の”脱力スタイル”を身につけていくのですが、このデビュー曲ではまだ一生懸命歌っていて、その感じも今聴くとすごく新鮮です。
そして、あらためて井上陽水の歌詞のわけわからなさに愕然とします(歌番組で聴くレベルなら、この歌詞にも慣れてしまっていたのですが、じっくり聴くとやはり驚きます)。
奥田民生が鼻歌で歌っていたデモを陽水にわたし、それを聴きながら彼が歌詞をつけたそうで、”空耳的な感じ”で聴こえたものを活字にしていっただけだと、彼は言っていたそうです。
(例えば、冒頭部分を民生が「ニニン、ニンニン」みたいに歌っていて、それが陽水には「北京、ベルリン」にしか聞こえなかったと)
この歌詞を渡されたPUFFYは「歌いやすいっス」みたいな反応をしたとのことです。
「なのでサウンド的にも「歌いやすいっス」って印象は合ってるんですよ。やっぱり歌詞はサウンド的にはいい感じになる。意味が少々変、とかそういう問題じゃない」
ただ、懸念もしていたようで
「僕があの歌詞を歌うなら全然問題ないんだけど、デビュー前の赤子に歌わすのはどうなの?っていう不安はよぎった。」
(「ラーメン カレー ミュージック」奥田民生)
ここで思い出すのはE,W&Fの「セプテンバー」の歌詞を書いたアリー・ウィリスの
「歌詞は決してグルーヴの邪魔をしてはいけない」
や、星野源が「SUN」を書くときに考えた、歌詞の内容は
「意味がないほど明るい」
といった言葉です。「アジアの純真」の歌詞の意味のなさはすさまじい。
明るいポップスを作ることは何より難しいということを、僕は繰り返し書いていますが、歌詞、というのもこれまた難しいのでしょう。
「アジアの純真」みたいな、完全に”意味”から遠く離れてしまったものから、小沢健二の意味を突き詰めすぎて異次元までいっちゃったようなものまであるわけですから。
でも、一つ大事なことは、歌詞が”サウンドとして”しっかり機能していることだと思います。そして、平易なボキャブラリーを使うこと。それが、歌いやすさやノリに大きく影響するはずです。
明るくノリのいいポップスの場合、いくらいい歌詞を書いても、言葉がノリを妨げていたらアウト!なんですね。
それに、本来音楽は、聴き手の中で意味を感じ取る場所より、ノリを感じ取る場所のほうが大事なはずなんです。僕はそう思っています。