まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「いとしのルネ (Walk Away Renée)」レフト・バンク(1966)

 おはようございます。

 今日はレフト・バンクの「いとしのルネ」です。

www.youtube.com

*************************************************************

And when I see the sign that points one way
The lot we used to pass by every day

Just walk away Renee
You won't see me follow you back home
The empty sidewalks on my block are not the same
You're not to blame

From deep inside the tears that I'm forced to cry
From deep inside the pain that I chose to hide

Just walk away Renee
You won't see me follow you back home
Now as the rain beats down upon my weary eyes
For me it cries

Just walk away Renee
You won't see me follow you back home
Now as the rain beats down upon my weary eyes
For me it cries

Your name and mine inside a heart upon a wall
Still finds a way to haunt me, though they're so small

Just walk away Renee
You won't see me follow you back home
The empty sidewalks on my block are not the same
You're not to blame

*************************************************************

毎日僕らが何度も通り過ぎてきた

一方通行の標識を見たとき

 

ただ歩き去ればいい ルネ

君が帰る後ろをついてゆく僕のことは気づかないだろうね

君がいなくなった街の歩道は前とは違うんだ

君のせいじゃない


心の深い場所から 僕を泣かせようとする涙が溢れ

心の深い場所から 隠そうとした胸の痛みがこみあげてくる

ただ歩き去ればいい ルネ

君が帰る後ろをついてゆく僕のことは気づかないだろうね

いま雨が僕の弱った目にあたり、僕のために泣いている

ただ歩き去ればいい ルネ

君が帰る後ろをついてゆく僕のことは気づかないだろうね

いま雨が僕の弱った目にあたり、僕のために泣いている

 

壁に書かれたハートマークの中の君と僕の名前が
まだ頭から離れない ちっぽけなものなのに

ただ歩き去ればいい ルネ

君が帰る後ろをついてゆく僕のことは気づかないだろうね

君がいなくなった街の歩道は前とは違うんだ

君のせいじゃない                 (拙訳)

*************************************************************

 まだ16歳だった作者が切ない片思いを歌った名曲

 

 昨日登場したシャングリラスのメイン・ボーカル、メアリー・ウェイスに報われない恋をして曲まで書いたというプロフィールがあるのが、レフトバンクの中心人物でこの曲の作者でもあるマイケル・ブラウンです。

 

 レフト・バンク(The Left Banke)は1965年にニューヨークで結成されたグループ。

 メンバーはマイケル・ブラウン(キーボード) スティーヴ・マーティン(ボーカル) トム・フィン(ベース) ジョージ・キャメロン(ドラム) リック・ブランド(ギター)の5人。

   マイケルは、本名はマイケル・デヴィッド・ルッコフスキーといい、父親はアントニオ・カルロス・ジョビンクインシー・ジョーンズの作品にも参加した有名なセッション・バイオリニストでスタジオも経営していて、彼も幼い頃から音楽を学びスタジオも自由に使えたこともあり、音楽的に大変に早熟でした。

 

 この「いとしのルネ」を書いた時、彼はまだ16歳だったといいます。ベースのトム・フィンが恋人のレネ・フレーデンをスタジオに連れてきたことがきっかけで、ブラウンは彼女にすぐに夢中になり、彼女のことを歌った3曲をすぐに書き上げたといいます。その1曲が「いとしのルネ」でした。

 

 レネ・フリーデンはレコーディングにも現れたようで、ハープシコードを弾いていたマイケルは緊張して手が震えてしまい、レコーディングを断念し、後日録り直したといいます。

 この曲はスマッシュ・レコードというレーベルからリリースされるといきなり全米5位の大ヒットになりました。

 次のシングル「プリティ・バレリーナ」もレネに一目惚れした時に「いとしのルネ」と一緒に書いた曲なのだそうです。

 

 全米15位「プリティ・バレリーナ

www.youtube.com

 

 しかし、この時には、マイケルと他のメンバーとの間に亀裂が入っていました。

 ライヴは他のメンバーにまかせ、自分は制作に没頭しようとしたことが要因の一つとも言われています。ビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンみたいですね。

 しかし、ビーチ・ボーイズは兄弟が軸ですが、レフトバンクは他人同士、しかもメンバーはまだ16、7歳でした。

 また、彼らのマネージメントをしていたのがマイケルの父親で、彼の方針に他のメンバーが納得できなかったこともづ和の原因だと言われています。

 そこで、マイケルは別のミュージシャンを集め、もうひとつの”レフト・バンク”を作り「Ivy Ivy」というシングルもリリースします。

www.youtube.com

 しかし、オリジナルのレフト・バンクの他のメンバーたちが訴訟を起こし、レコード会社も宣伝を止めてしまったので、この曲はヒットせずに終わります。

  1967年後半には一度レフトバンクは再結成しますが、ほどなくしてマイケルは永久に脱退してしまいます。

 そして、1969年にモンタージュというバンドに参加、唯一のアルバムの作曲とプロデュースを担当し、キーボードも演奏しています。

 そのモンタージュの1stシングルが「I Shall Call Her Mary」といって、シャングリラスのメリー・ワイスへの片思いを歌にしたものだと言われています。

www.youtube.com

  残念ながらモンタージュは売れず、その後もストーリーズに加わるも「ブラザー・ルイ」が大ヒットする直前に脱退するなど、彼は二度とチャンスを掴むことはできませんでした。

 その後彼はアーティストの発掘や育成などをやりながら、2015年に亡くなるまで音楽業界の片隅で活動を続けていたそうです。

 

 1960年代半ばから後半に流行した、ビートルズの「エリナー・リグビー」のようにロック、ポップスとクラシックを融合したジャンルを”バロック・ポップ”と呼びますが、レフト・バンクやこの「いとしのルネ」はその象徴的なバンドと曲とされています。

 

 バイオリニストを父に持ち、もともとハープシコードを弾いていたという環境にあり、バロック・ポップにぴったりな叙情的な旋律を描くのに十分すぎるほどの恋愛体質を持っていたマイケル・ブラウンこそ、まさにその申し子だったのかもしれません。

 

 バロック・ポップの流行とまだ16歳だった少年の才能がいきなりピッタっと合ってしまい、そのためになおさらその後は、なかなか波長が合わなかったんじゃないか、僕はそんな風に感じました。

 

 もっともっとポップス史に残るような曲を残せたはずの才能だったようにも思えますが、いきなりピントが合ってしまった故に、こういう展開になってしまったと。

 しかし、16歳の感性が世の中の流れとピタッと合ったからこそ、この「いとしのレネ」という曲の持つ瑞々しさが、長く記憶に残るものになったとも言えると思います。

 

1968年にはモータウンのフォートップスがカバーし全米14位、全英3位のヒットになっています。

www.youtube.com

 リンダ・ロンシュタットはこの曲をカバーした時にこのように語っています。

「最初にラジオから流れてきたときは、歌詞がよくわからなかったわ。ただ "ラララ "と言ってるみたいに聞こえたわ。どの言葉もわからず、理解もできなかった。でも、一瞬で、私にとって忘れられない心に残る曲になったの。それが何なのかよくわからないけど。誰かのことをあきらめて、手放してしまう感覚があるのよ。あの曲は、感情の弧線と、それがどんな風に働きかけるかを見事に描いているの。私はこの曲が大好きよ」

     (Los Angels Times MARCH 20, 2015)

 

www.youtube.com

 

 

 

popups.hatenablog.com

 

popups.hatenablog.com

 

f:id:KatsumiHori:20210406093734j:plain

 

「リーダー・オブ・ザ・パック(Leader of the Pack)」シャングリラス(1964)

 おはようございます。

 今日はシャングリラスの「リーダー・オブ・ザ・パック」です。最初の邦題は「黒いブーツでぶっとばせ」だったそうです。

www.youtube.com

*******************************************************************

Is she really going out with him?
Well, there she is. Let's ask her.
Betty, is that Jimmy's ring you're wearing?
Mm-hmm
Gee, it must be great riding with him
Is he picking you up after school today?
Uh-uh
By the way, where'd you meet him?

I met him at the candy store
He turned around and smiled at me
You get the picture? (yes, we see)
That's when I fell for (the leader of the pack)

My folks were always putting him down (down, down)
They said he came from the wrong side of town
(whatcha mean when ya say that he came from the wrong side of town?)
They told me he was bad
But I knew he was sad
That's why I fell for (the leader of the pack)

One day my dad said, "Find someone new"
I had to tell my Jimmy we're through
(whatcha mean when ya say that ya better go find somebody new?)
He stood there and asked me why
But all I could do was cry
I'm sorry I hurt you (the leader of the pack)

He sort of smiled and kissed me goodbye
The tears were beginning to show
As he drove away on that rainy night
I begged him to go slow
But whether he heard, I'll never know

Look out! Look out! Look out! Look out!
I felt so helpless, what could I do?
Remembering all the things we'd been through
In school they all stop and stare
I can't hide the tears, but I don't care
I'll never forget him (the leader of the pack)

The leader of the pack - now he's gone、、、


*******************************************************************

あの娘本当に彼とつきあってるの?

ねえ、あの娘よ 確かめてみましょう

ベティ、あなたがつけてるのジミーの指輪じゃないの?

う、、うん

まあ、彼とバイクに乗るなんてすごいに違いないわ

今日も学校が終わったら 彼は迎えに来るの?

まあね

ところで、どこで彼と待ち合わせたの?

 

キャンディストアで彼に会ったの

彼は振り返って私に微笑んだの

写真見たい?(うん、見る)
その時恋に落ちたの、暴走族のリーダーに

 

みんないつも彼のことを悪く言うの

街の良くない場所で育ったって

(良くない場所ってみんなどういう意味で言ってるの?)

彼は不良だってみんなが私に言う

だけど、私にはわかる、彼は悲しい人だって

だから私は恋に落ちたの 暴走族のリーダーに

ある日パパが言った「別の誰かを見つけなさい」

ジミーに私たちはおしまいだって言わなくちゃ

(別の誰かを見つけなさいってどういうつもり?)

彼はそこに立ち尽くして、なぜって訊いたの

だけど私はただ泣き叫ぶしかできなかった

傷つけてごめんなさい 暴走族のリーダー

 

彼は少し笑って、サヨナラのキスをした

あの雨の夜彼がバイクを走らせていくと

涙が溢れ出してきたわ

ゆっくり走ってお願いしたけど

彼に聞こえたのか 私は知ることはできないの

 

危ない!  危ない! 危ない!

自分が無力に思えた どうすればよかったの?

二人で過ごした時間を全部思い出しながら
学校ではみんな立ち止まってじっと見てたわ

涙は隠せないけど、気にしないわ

彼を忘れることは決してないでしょう

暴走族のリーダー

暴走族のリーダー、行ってしまった、、、

*******************************************************************

 Leader of the Pack って日本語では暴走族のリーダーとしか訳しようがないです、、、

 

 最近でではほとんど見なくなりましたが、昔は不良少年と普通の少女の許されない恋、というのは10代のラブストーリーの”鉄板”でしたね。僕の若い頃は、そういうドラマばかり(?)でした。そして、不良少年の憧れといえばジェームズ・ディーン”と決まっていました。

 この歌の少年が”ジミー”というのも、わざと狙っているのでしょう。

 今この曲を聴くと、かつて世界中にあふれていた不良少年と少女のラヴ・ストーリーのエッセンスを凝縮した歌のように思えます。

 

 さて、歌っているシャングリラズはニューヨーク州クイーンズのカンブリア・ハイツの高校で結成されたガール・グループで、ベティとメアリーのウェイス姉妹、メリーアンとマージのガンザー姉妹(双子)の4人で構成されていました。

 

    シャングリラというのはクイーンズにあったレストランの名前だったそうです。

 

 彼女たちはスマッシュ・レコードから「サイモン・セッズ」という曲でデビューし、その後、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーとジョージ・ゴールドナーが作ったレーベル”レッドバード”と契約することで成功し始めます。

 そこでキーパーソンとなるのはこの曲のプロデューサー、シャドウ・モートンです。

 

  本名はジョージ・フランシス・モートンといい、ロングアイランドのヒックスビルで育った彼は、ドゥーワップ・グループで活動したりしていましたが、エリー・グリニッチと親しくなったことをきかっけに、音楽の仕事をするために彼女のパートナー、ジェフ・バリーの家を訪ねたりしたそうです。グリニッチとバリーは、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」などを書いた大ヒット・コンビです。

 

 そして、彼のことを信用していなかったバリーに何か曲を聴かせろと言われたモートンは、挑発されたと感じて慌ててロングアイランドのビーチに行って作ったのが「リメンバー~渚のおもいで(Remember (Walking In The Sand))」という曲だったそうです。

 それを彼が好きだったシャングリラスに歌わせ、そのデモをジェリー・リーバーに聴かせたところ気に入られ、レッドバード・レコードからリリースすることになったのです。そして、モートンもプロデューサーとして雇われることになります。”シャドウ”というニックネームは、彼がいつも居場所がわからないことから、ジョージ・ゴールドナーが名付けたと言われています。

 

 そして「リメンバー~渚のおもいで」は全米5位の大ヒットになります。 

www.youtube.com

 S.E込みのドラマ仕立てのスタイルというのは、シャドウ・モートンが最初から戦略的に作ったスタイルだったようですね。

 

 そのシリーズのパート2が「リーダー・オブ・ザ・パック」だったわけです。こちらはモートンに加えグリニッチ&バリーが共作者としてクレジットされています。モートンは全部自分が書いたと言っているようですが、ヒット・ポップスとしてまとめあげるために、彼らが何らかの手直しはしたんじゃないかと僕は推測します。

 

 ちなみに、「リメンバー〜渚の思い出」のデモと「リーダー・オブ・ザ・パック」のボツになったテイクでピアノを弾いていたのがビリー・ジョエルだったそうです。

www.youtube.com

    リード・ヴォーカルのメアリー・ウェイスはこの頃まだ15歳だったそうです。シャドウ・モートンというのはアイドル・プロデューサーとしての”当て勘”があった人なのかもしれないですね。

 また上の映像は3人になっていますが、メンバーのベティ・ウェイスは舞台恐怖症などもあって、売れていた時期にTVに出なかったため3人の写真や映像が多く、3人組だと思われることも多かったそうです。

 

 シャングリラスの一番の個性は、ポップ・ミュージック史上、初めての白人バッド・ガールズだったということです。メンバーは、実はこの歌に出てくるかわいい女の子より不良少年に近いキャラだったようで、クイーンズの治安の悪いエリアで育った”タフな”女の子たちだったそうです。そして、数多くのロック・ミュージシャンたちが若い頃彼女たちに夢中になったと発言しています。

 シャドウ・モートンのほうはその後、バニラ・ファッジやニューヨーク・ドールズなどを手がけています。

 

  最後は「リーダー・オブ・ザ・パック」の次のシングル「Give Him a Great Big Kiss(邦題:がっちりキスしよう) 」のB面「ツイスト・アンド・シャウト」を。ライヴ録音なんですね。

www.youtube.com

 

ザ・ベスト・オブ・シャングリラス

ザ・ベスト・オブ・シャングリラス

  • アーティスト:シャングリラス
  • マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
Amazon
リーダー・オブ・ザ・パック

リーダー・オブ・ザ・パック

Amazon

 

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

 

f:id:KatsumiHori:20210405191808j:plain

 

「テル・ヒム(Tell Him)」エキサイターズ(1962)

 おはようございます。

 今日は「ツイスト・アンド・シャウト」の作者バート・バーンズが作った曲をもうひとつ。エキサイターズの「テル・ヒム」です。

www.youtube.com

********************************************************************************

I know something about love
You've gotta want it bad
If that guy's got into your blood
Go out and get him
If you want him to be
The very heart of you
Makes you want to breathe
Here's the thing to do

Tell him that you're never gonna leave him
Tell him that you're always gonna love him
Tell him, tell him, tell him, tell him right now

I know something about love
You gotta show it and
Make him see the moon up above
Out and get him
If you want him to be
Always by your side
If you want him to
Only think of you

Tell him that you're never gonna leave him
Tell him that you're always gonna love him
Tell him, tell him, tell him, tell him right now

Ever since the world began, it's been that way for man
And women were created
To make love their destiny
Then why should true love be so complicated, oh yeah?

I know something about love
You gotta take his hand
Show him what the world is made of
One kiss will prove it
If you want him to be
Always by your side
Take his hand tonight
Swallow your foolish pride

Tell him that you're never gonna leave him
Tell him that you're always gonna love him
Tell him, tell him, tell him, tell him right now

Oh, you hafta tell him now (tell him that you're never gonna leave him)
Oh yeah (tell him that you're always gonna love him)
Yeah (tell him, tell him, tell him, tell him right now)

Darling, don't you let him go, now (tell him that you're never gonna leave him)
Oh yeah (tell him that you're always gonna love him)
Yeah (tell him, tell him, tell him, tell him right now)

Take his hand in yours and tell him (tell him that you're never gonna leave him)
Oh yeah (tell him that you're always gonna love him)

********************************************************************************

恋愛のことはくわしいの

あなたは欲しくてたまらなくなってしまったのね

もしその男のことがとりついてしまったなら

外に飛び出して、自分のものにするのよ

あなたの生きがいになるような

一番大切な人になってほしいなら

あなたのやるべきことは

 

彼に言うのよ 絶対離れないって

彼に言うのよ いつも愛しているって

言うの、言うの、言うのよ、今すぐに

恋愛のことならまかせてよ

気持ちを伝えて、お月様が上るのを見せなきゃね

出ていって彼のことをものにするのよ
もし彼にいつもそばにいてほしいのなら

もし彼に自分のことだけ思ってほしいのなら

 

彼に言うのよ 絶対離れないって

彼に言うのよ いつも愛しているって

言うの、言うの、言うのよ、今すぐに


世界の始まりからずっと 男はそんな風だったのよ

そして女は 愛を自身の運命にするように神が作ったの
そのうえ、真実の愛はどうしてこんなに面倒臭いの、ねえ?

 

恋愛のことはくわしいの
彼の手をとって 世界は何でできているか

彼に見せなくっちゃいけない
一度のキッスで証明できるわ

もし彼にいつもそばにいてほしいのなら

彼の手を握るの つまらないプライドなんて飲み込んで

 

彼に言うのよ 絶対離れないって

彼に言うのよ いつも愛しているって

言うの、言うの、言うのよ、今すぐに


ああ、今彼に言わなくちゃ

(彼に言うのよ 絶対離れないって)

(彼に言うのよ いつも愛しているって)

(言うの、言うの、言うのよ、今すぐに)


彼を放っておいちゃだめ

(彼に言うのよ 絶対離れないって)

(彼に言うのよ いつも愛しているって)

(言うの、言うの、言うのよ、今すぐに)


彼の手を握って、言うのよ

(彼に言うのよ 絶対離れないって)

(彼に言うのよ いつも愛しているって)        (拙訳)

********************************************************************************

 エキサイターズはニューヨークのクイーンズの高校時代に結成された女性4人グループ"マスタレッツ”がベースになっています。当時の大ヒット・プロデューサー・チーム、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーのオーディションに合格したのち、メンバーが抜け代わりに男性のハーブ・ルーニーが加わり、グループ名もエキサイターズに変更しました。

 そして、リーバー&ストーラーのプロデュースによる「テル・ヒム」は彼らのデビュー・ヒット(全米4位)になりました。

 

   その後、この曲に匹敵するヒットを出せずに終わりますが、興味深いのはマンフレッド・マンの代表曲「Do Wah Diddy Diddy」を最初のリリースしたのはエキサイターズだったということです。オリジナルのタイトルは「Do-Wah-Diddy」でした。

www.youtube.com

 「テル・ヒム」の方は、実は彼らがオリジナルではなく、ギル・ハミルトンというシンガーが最初で、エド・タウンゼントという人もエキサイターズより少し早くリリースしましたがいずれもヒットしませんでした。

 しかも、両者とも男性シンガーで、もともとタイトルは「Tell Her」だったんです。

www.youtube.com

 この曲を書いたバート・バーンズについても少し。

 本名はバートランド・ラッセル・バーンズといい、この曲では”バート・ラッセル”と表記されています。また、シンガーとしても短い期間ですが活動していたようで、そのときは”ラッセル・バード”という名前で活動していました。

 

 1961年に全米50位になった「You Better Come Home」。「ツイスト・アンド・シャウト」につながるようなラテンのリズムを取り入れています。

www.youtube.com

 そして、リーバー&ストーラーのもとで作家、プロデュース行い、彼の曲がイギリスでも人気だったことから、イギリスに渡り、ヴァン・モリソンやLuLuなども手がけています。

  1965年にはアトランティック・レコードの傘下として、自身のレーベル”BANG RECORDS"を立ち上げ、ヴァン・モリソンの「ブラウンアイド・ガール」やニール・ダイアモンドの初期のヒット曲などをリリースしています。

 

 バートは子供の頃に患ったリウマチ熱によって、ずっと心臓にダメージを負っていたそうで、1967年に38歳で亡くなってしまいます

 彼の死後、BANG RECORDSを引き継いだのは奥さんで、「アイ・ゴー・クレイジー」のポール・デイヴィスと契約したのは彼女だったそうです。

 

 さて話を「テル・ヒム」に戻しますが、ダスティ・スプリングフィールドが、まだグループで活動していてカントリーのレコーディングでアメリカにきたときに、通りかかったレコード店でエキサイターズの「テル・ヒム」が流れているのを聴いて、自分がやりたいのはこういう音楽だと思い、ソロでポップスをやる決意をしたそうです。

 それだけ、インパクトの強いヒットだったわけで、カバーもたくさん作られています。

 

 まず僕が感心したのは、フランスで”キング・オブ・アイドル”と呼ばれた、”イエイエ”(Yé-yé)の大スター、クロード・フランソワのヴァージョン。確かにこの曲、フレンチ・ポップスがピッタリ合います。1963年にフランスで1位になったそうです。

www.youtube.com

 僕がこの曲を初めて聴いたのは、実は彼らのカバーでした。イギリスのグラム・ロック・バンド”ハロー”。

www.youtube.com

 1974年に全英6位になっています。当時、ベイ・シティ・ローラーズの大ブームの流れで知ったので、1974年だっけ?と思ったのですが、日本でヒットしたのは1977年だったそうで、イギリスのアイドル・バンドが競って売れていた時代ですので、そのタイミングで日本独自でリリースしたのでしょう。

 

  他にもソニー&シェール、リンダ・ロンシュタットローラ・ブラニガンなどたくさんあります。

 最後はケニー・ロギンスのヴァージョンで。そこまでやるの?ってくらい”フットルース”味でアレンジしています。

www.youtube.com

 

Tell Him

Tell Him

  • TP4 Music
Amazon

 

テル・ヒム

テル・ヒム

Amazon

 

”ハロー”のカバー

 

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

 

f:id:KatsumiHori:20210404144619j:plain

 

「ツイスト・アンド・シャウト(Twist And Shout)」アイズレー・ブラザーズ(1962)

 おはようございます。

今日はアイズレー・ブラザーズの「ツイスト・アンド・シャウト」です。

www.youtube.com

*************************************************************************

Well, shake it up baby now
Twist and shout
Come on baby now
Come on and work it on out
Well work it on out, honey
You know you look so good
You know you got me goin' now
Just like I know you would

Well, shake it up baby now
Twist and shout
Come on, come on, come, come on baby now
Come on and work it on out
You know you twist, little girl
You know you twist so fine
Come on and twist a little closer now
And let me know that you're mine, woo

Ah, ah, ah, ah
Yeah, shake it up baby now
Twist and shout, shake it up, work it on out
Well shake it, shake it, shake it, baby


Writer/s: Bert Russell, Phil Medley

*************************************************************************

腰を振って、ベイビー

ツイストして叫ぶんだ

さあ、ベイビー、さあ、バッチリ決めようぜ

バッチリ決めよう ハニー

すごくいかしてるよ

その気になってしまうぜ

まるで僕が思っていた通りさ

 

腰を振って、ベイビー

ツイストして叫ぶんだ

さあ、ベイビー、さあ、バッチリ決めようぜ

君はツイストを踊っているんだ、リトル・ガール

すごく上手だよ

*************************************************************************

 

 この曲はやっぱりこの人の曲として有名ですよね。

www.youtube.com

  しかし、本来この曲はアイズレー・ブラザーズが歌ってヒットさせたもので、ビートルズのアレンジもそれをベースにしているんです。

 

 じゃあ、アイズレーがオリジナルかというと、これまたそうではなくてザ・トップ・ノーツというグループが1961年に最初に録音しています。

www.youtube.com

    1960年に出たチャビー・チェッカーの『ザ・ツイスト(ツイスト No.1)』の大ヒットで世界中は”ツイスト”ブームでした。”ツイスト”はこのビデオにも登場しますが、腰をくねらせる(ツイストさせる)ダンスなんですね。

www.youtube.com

 ビルボード誌は1958年から2018年の60年間でトータルのチャートを発表し1位になったのがこの「ザ・ツイスト」(ちなみに2位はサンタナの「SMOOTH」)でしたから、それほどの特大ヒットだったわけです。

 ですから、この時代はツイスト・ブームにあやかった曲がたくさん作られていて、この「ツイスト・アンド・シャウト」も間違いなくそうでしょう。

 

 そしてこのトップ・ノーツのオリジナルをプロデュースしたのがフィル・スペクターなんです。当時彼はまだ駆け出しで、当時の大ヒット・プロデューサー・チーム、リーバー&ストーラーの舎弟のような立場で仕事を始め、だんだんとプロデューサーとしても仕事をするようになった時期です。

 トップ・ノーツはフィルとジェリー・ウェクスラー(のちにアレサ・フランクリンなどを手がけ、R&Bという言葉を考えた人でもあります)の共同プロデュースで始めたようですが、全く意見が合わず、特に「ツイスト&シャウト」の現場は最悪だったようです。

ウェクスラーはこう語っています。

「そもそもフィルの場合には、共同作業なんてありえない。彼の流儀でやるか、ぜんぜんやらないかのどっちかなんだ」

ということで、この曲に関してはフィルにすべて任せたのでしょう。曲を書いたバート・バーンズも現場にいたそうですが、苦痛に耐えながら沈黙していたそうです。

「わざわざ特等席に座らせて、曲の殺戮場面を見せつけるようなものだった」

そう、ウェクスラーは回想しています。

                 (参考:「フィル・スペクター 蘇る伝説」)

 確かに、キツイ言い方をすれば、ツイスト・ブームにあやかっただけの新味のないアレンジのように聴こえなくもないですね。やっつけ仕事というか。

 

 そして、このレコーディングで苦痛に耐えていた作者のバート・バーンズ自らがアレンジして、見事リベンジしたのがアイズレーのヴァージョンだったのです。

 

 アイズレー・ブラザーズオハイオ州シンシナティ出身で、オーケリー、ルドルフ、ロナルド、ヴァーノンの兄弟の年長4人でゴスペルを歌い始めました。しかし、一番年下のヴァーノンがわずか13歳で交通事故で亡くなってしまい、グループは一度活動をやめてしまいます。

 1957年に活動を再開することにし、3人はニューヨークに向かいます。

 彼らの一番最初の録音とされているのが「The Cow Jumped Over the Moon」という曲です。

www.youtube.com

 

 そして、メジャーのRCAビクターと契約した2作目「シャウト」(1959)が彼らのとっての初ヒットになりました。

www.youtube.com

  その後、精力的にシングルをリリースしましたが1曲もチャートに入らず、彼らは契約を切られてしまいます。そして、セプター・レコード(ディオンヌ・ワーウィックなどが在籍)の系列レーベル"WAND"に移籍しました。

 彼らのもとにバート・バーンズが「ツイスト&シャウト」を持っていき、この曲を取り上げるよう説得したといいます。「シャウト」でみせた彼らのエネルギッシュなボーカル・パフォーマンスこそ、この曲に合っていると考えたようです。

 文字通りチャビー・チェッカーの「ツイスト」とアイズレーの「シャウト」を見事に融合させたのがこの「ツイスト・アンド・シャウト」なのかもしれません。

 そして、このヴァージョンのアレンジの特徴はアフロ・キューバンのリズムをとりいえていることです。

 バートは若い頃から、黒人音楽やラテンに夢中になり、マンボのナイトクラブに入り浸り、ソングライターになる直前にはキューバに渡っています。

 もともとそのリズムが念頭にあったので、なおさらフィル・スペクターのアレンジに対して彼は全然納得できなかったのかもしれません。

 

 

   ちなみに、バート・バーンズはこの後、ゼムの「ヒア・カムス・ザ・ナイト」やジャニス・ジョプリンのカバーで知られる「心のカケラ(piece of my heart)」などを書き、ドリフターズの「アンダー・ザ・ボードウォーク」やヴァン・モリソンの「ブラウンアイド・ガール」などポピュラー・ミュージック史に残る傑作をプロデュースしていますが、1967年に38歳の若さで亡くなっています。

 21世紀に入って彼を再評価する動きが高まり、2016年には「 BANG! The Bert Berns Story」というドキュメンタリー映画も作られています。

f:id:KatsumiHori:20210403143458j:plain

 

「ハーヴェスト・フォー・ザ・ワールド(Harvest For The World)」アイズレー・ブラザーズ(1976)

 おはようございます。

 きょうはアイズレー・ブラザーズの「ハーヴェスト・フォー・ザ・ワールド」です。


www.youtube.com

********************************************************************************

All babies together, everyone a seed
Half of us are satisfied, half of us in need
Love's bountiful in us, tarnished by our greed
When will there be a harvest for the world

A nation planted, so concerned with gain
As the seasons come and go, greater grows the pain
And far too many feelin' the strain
When will there be a harvest for the world

Gather everyman, gather everywoman
Celebrate your lives, give thanks for your children
Gather everyone, gather all together
Overlooking none, hopin' life gets better for the world

Dress me up for battle, when all I want is peace
Those of us who pay the price, come home with the least
Nation after nation, turning into beast
When will there be a harvest for the world

********************************************************************************

赤ん坊はみんな一緒さ 誰もが一つの種なんだ

半分の人間が満たされ 半分は飢えている

愛は僕たちの中にたっぷりあるのに

強欲さに汚されている

いつになったら世界に収穫の時が来るのだろう

 

国家が植え育てるのは 利得につながるものばかり

季節が巡るとともに 痛みは大きくなってゆく

緊張することがあまりに多すぎる

いつになったら世界に収穫の時が来るのだろう

集まれ男たちよ 集まれ女たちよ
自らの命を祝い 子供たちに感謝を

集まれみんな あつまれみんな揃って

誰のことも見下ろさず 

この世界のために生活がより良くなるよう願うんだ


僕は武装させられるんだ ほしいのは平和だけなのに

代償を払うものは 全て失ったまま家に帰る

国民は次から次へと 野獣に変わる

いつになったら世界に収穫の時が来るのだろう       (拙訳)

********************************************************************************

  アイズレー・ブラザーズはオケリー、ルドルフ、ロナルド・アイズレーの3兄弟のボーカル・グループとしてキャリアをスタートさせましたが、1970年代に入ると、弟二人、マーヴィン、アニー・アイズレーと従兄弟のクリス・ジャスパーがバッキングに加わり、そのままメンバーとなり6人組になります。

 

 この若者3人衆が大変な音楽的才能を持った面々で、そのおかげもあってアイズレー・ブラザーズは1970年代に全盛期、文字通り”収穫期”を迎えることになります。

 曲からアレンジまで3人でほぼ作りあげたあと、大きいお兄ちゃんたち3人を呼んで歌ってもらうという、ざっくりいうとそういうシステムで作っていたわけで、この「ハーヴェスト・フォー・ザ・ワールド」も例外ではないようです。

 

 ギターのアーニー・アイズレーはこう回想しています。

「12弦ギターが欲しかったので、マンハッタンの楽器店でギルドの12弦を買ったんだけど、これは今でも持っているよ。家に持ち帰って地下室で弾いてみたら、たまたま "All babies together Everyone a seed Half of us are satisfied Half of us in need... "というフレーズを思いついたんだ」

 

 アーニーが歌詞を含め曲の大部分を書き、そこにマーヴィンとクリス・ジャスパーが加わって曲とトラックを完成させます。

 

 歌詞についてクリスとアーニーはこう語っています。

「当時はベトナム戦争が終わったばかりで、まだ多くの人が行方不明になっていたし、経済もそんなに良くはなかった。今と同じように「持てる者」と「持たざる者」の間に大きな格差があったんだ。この曲はそういうことを歌っていて、「世界にはいつ収穫があるのか?いつになったら人々は今起こっているものを公平に分かち合える時が来るのか、いつになったら自分たちの人生に公平性を手にすることができるのか」という修辞的な質問をしているのです。基本的に私たちは、キリストの再来がその時であることを知っています。キリストは平等の神だから、最終的にはその時になるんだ。でも、この曲はその質問をしているだけなんだ」(クリス・ジャスパー)

 

新約聖書に『収穫は多いが、働き手が少ない』という記述があるけど、神の収穫のために働き手が出て集まってくることを祈っているんだ」 (アーニー・アイズレー)

 また、アーニーは「ハーヴェスト・フォー・ザ・ワールド」は

「すべての人間が招待され、誰もが参加することを妨げられない平和な集まりを意味している」とも語っています。

 

 1970年代、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」を大きな契機にして、黒人のアーティストが社会的な問題を投げかける曲を作るようになりましたが、この「ハーヴェスト・フォー・ザ・ワールド」もその流れにある曲と言えると思います。

 

 実際この曲が発売されると、多くの高校から年鑑用に歌詞の転載する許可を求められたそうです。

  また、今の時代は世界中がまさに”困難な時期の終焉”と”あらたな収穫の時”を待ち続けているようで、この曲が新しい意味を持って聴こえてくるような気がします。

 

 アイズレー・ブラザーズには他にヒット曲や人気曲がたくさんありますから、日本ではそれほど知名度があるとはいえませんが、海外では大変評価の高い曲のようです。

 特に彼らの本国アメリカ(全米チャート63位)よりもヒットしたイギリス(全英10位)では多くのアーティストがカバーしています。

 

 

  1985年に大ヒットしたパワー・ステーションの同名アルバムに収録されていたカバー。


www.youtube.com

 ポール・ウェラー率いるスタイル・カウンシルもこの曲をやっていたんですね。


www.youtube.com

 

 

 *メンバーの発言は「UNCUT」(31st March 2017)から転用し、和訳しました

 

 

 

popups.hatenablog.com

f:id:KatsumiHori:20210402215645j:plain

 

楽器買取専門店【楽器の買取屋さん】最短30分の無料の出張見積もり

ネットオフ

お名前.com

「マーシー・マーシー・ミー(Mercy Mercy Me (The Ecology))」マーヴィン・ゲイ(1971)

おはようございます。

昨日は命日で、今日は誕生日ということで今日もマーヴィン・ゲイ。曲は「マーシーマーシー・ミー」です。


Mercy Mercy Me (The Ecology)

********************************************************************************

Mercy, mercy me
Things ain't what they used to be
Where did all the blue skies go?
Poison is the wind that blows
From the north and south and east
Mercy, mercy me

Things ain't what they used to be
Oil wasted on the ocean and upon our seas
Fish, full of mercury

Mercy, mercy me
Things ain't what they used to be
Radiation underground and in the sky
Animals and birds who live nearby are dying

Mercy, mercy me
Things ain't what they used to be
What about this overcrowded land
How much more abuse from man can she stand

OH,na na

My Sweet Lord,,,No

My Lord,,,My sweet Lord

********************************************************************************

ああ、何てことなんだろう

以前とはまったく変わってしまった 

あの青空はいったいどこに行ってしまったんだ

毒物は風になって吹いてくる

北から、南から、東から

神よ、どうかご慈悲を

 

何もかも以前とは違うんだ

廃棄された油が大洋や僕らの近海を汚し

魚は、水銀でいっぱいだ

 

ああ、何てことなんだろう

何もかも以前とは違うんだ

地下にも空にも放射能があり

近くに生息する動物や鳥が死んでゆく


ああ、なんてことなんだろう
何もかも以前とは違うんだ
この人間であふれた土地はどうなってしまうのか
男からの虐待にあとどれだけ女性は耐えられるというのだろう 

 

神よ、、神よ、、

(拙訳)

 

********************************************************************************

 「1969年か1970年に、自分の音楽に何を言わせたいかというコンセプト全体を見直し始めたんだ。弟がベトナムから送ってくれた手紙にとても大きな影響を受け、同じように国内の社会情勢からも影響を受けたんだ。人々の魂に届くような曲を作りたいのなら、自分の空想は捨て去らなければならないと思った。いま世界で何が起こっているかを人々に見てもらいたかったんだ」

 マーヴィン・ゲイがこの時期の楽曲制作についてどう考えていたかを「ローリングストーン」誌に語ったときの言葉です。

 空想(Fantasy)を捨て去る、と言い切っているところが印象的です。

 

 そして、当時彼は精神的に不安定な状態だったのですが、その時期にカルロス・カスタネダが書いた「呪術師と私 ドン・ファンの教え」という本を教えられ、大きな影響を受けています。ネイティヴ・アメリカンの呪術師ドン・ファンが語ったという

「私にとって、旅とは心ある道を行く旅しかない。唯一挑戦する価値がある旅とは、その旅の全行程を終えることだ」

 という言葉を見つけ、音楽的な自分の道を模索しようと決意したと彼は語っています。

 そして、まわりの人たちからのインスピレーションや協力も得て、彼の創作はフォーカスが絞られていき、作り上げた曲が「ホワッツ・ゴーイン・オン」でした。

 

 

 「ホワッツ・ゴーイン・オン」を全く評価していなかったモータウンの社長ベリー・ゴーディに反対を押し切ってシングル発売にこぎつけると、曲は大きな反響をうけて大ヒット、驚いたベリーは一転し「ホワッツ・ゴーイン・オン」をタイトル曲としたアルバムを制作するようにマーヴィンに指示を出します。

 ただし30日間で完成させることが条件でした。シングルが勢いのあるうちにアルバムを売ってしまいたいと思ったのでしょう。この段階でも、ベリーは「ホワッツ・ゴーイン・オン」という曲を心から信じてはいなかったのかもしれません。

 

 そして、マーヴィンはベリーの要請よりも早く約10日でアルバムを作ったと言われています。「ホワッツ・ゴーイン・オン」という曲を制作する過程で、いままで彼の内側でグツグツ煮込まれていたさまざまなものが、彼の創作のモチベーションとして一気にスパークしたのだと、僕は捉えています。

 

 そのうちの1曲がこの「マーシーマーシー・ミー」で、「ホワッツ・ゴーイン・オン」の次のシングルとして全米チャート4位(R&Bチャート1位)というヒットになっています。

 

  「ホワッツ・ゴーイン・オン」は当時の社会情勢を反映させたコンセプトアルバムでしたが、この曲は直接、環境問題に切り込んでいます。今でもそういう歌は多くはないですが、当時ではかなりめずらしく、しかも曲のサブタイトルが「エコロジー生態学)」で、しかもそれが大ヒットしたというのはすごいことだと思います。

 

 この曲について彼はこう語っています。

 

「神はライフラインなんだよ。神は癒す者。神の名はマジック。神の模範は永遠だ。

神の希望は灯台の光。神といれば、恐怖も、死もない。神の模範に従わずに、搾取したり、欲深くなったりすると、僕たちは自分たちを滅ぼしてしまう。それが『マーシーマーシー・ミー(Mercy Mercy Me)』の歌わんとするところだ」

 (「マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル」)

 

 

 また、前述したカルロス・カスタネダが書いたドンファンの本を、じっくり読んで勉強したという彼は

 「生き方についての僕の考えは、非の打ち所のない戦士、ワインや女性、服やダイヤモンド、身につける高級品といった世俗的なものを必要としない人間になりたいということなんだ。そういったものにどんどん嫌いになって、時間と努力を注ぐのであれば、この地球が与えてくれる知識と力にのみ興味を持つようになりたい」

「 自然の法則に従うことにこそ、知恵と自由があるんだ」

                     (sounds 1976)

 などと発言しています。

 

 単なる環境問題を提議しているだけではなく、神の信仰や、ネイティヴ・アメリカンの思想などがこの曲には反映されている、ということなんですね。

 (ちなみに、カルロス・カスタネダ細野晴臣にも大きな影響を与えた人です)

 

 最後に、「ホワッツ・ゴーイン・オン」関連の作品について語るとき、どうしてもそのメッセージ性やマーヴィンの精神性ばかり語られるような気がして、それはもちろん当然なんですけど、僕はこのアルバムを聴くとき、なにより音楽性というか、もっと具体的にいえば彼の”ボーカル・ワーク”の素晴らしさに、真っ先に反応してしまいます。

ダイレクトに英語の歌詞が入ってこないせいかもしれませんが、、、(苦笑。

 

 そして、彼の伝記に僕はこういう発言を見つけました。

「ついに僕はどう歌えばいいかわかった感じがした。10年以上も僕はマイクの使い方を勉強してきた。そして突然、今まで僕はそれが間違っていたことに気づいた。僕はあまりに大声で歌いすぎていた。特にあのホイットフィールドの曲ではね。そう歌うのは簡単だった。ある夜、僕はホーン・プレイヤー、レスター・ヤングのレコードを聴いていた。それを聴いてぴんときた。リラックスするんだ。リラックスってことなんだ。そうすればすべてうまくいくんだ、ってね」

 (「マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル」)

 ホイットフィールドの曲というのは、「悲しいうわさ」や「Too Busy Thinking About My Baby」といった曲のことですね。

 テナー・サックス奏者の演奏を聴いて、自分の歌い方を見出したところがすごいですね。

 

 社会的な強いメッセージをこめた曲を、力を込めるんじゃなくてリラックスして歌っていることがすごく大事なポイントなんじゃないでしょうか。この「マーシーマーシー・ミー」でもそれが良くわかります。

 メッセージも精神性が音楽にこめることももちろんとても重要だと思いますが、それを”音楽として”人に届けるために自分にとって最も適した方法を見出だし、そこを徹底しているところがなにより素晴らしいと、僕は思うのです。

 

モントルーでのこの曲のライヴ。 

www.youtube.com

f:id:KatsumiHori:20210331114905j:plain

 

「ホワッツ・ゴーイン・オン(What's Going On)」マーヴィン・ゲイ(1971)

 おはようございます。

 今日はマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」です。


What's Going On

********************************************************************************

Mother, mother
There's too many of you crying
Brother, brother, brother
There's far too many of you dying
You know we've got to find a way
To bring some lovin' here today, yea

Father, father
We don't need to escalate
You see, war is not the answer
For only love can conquer hate
You know we've got to find a way
To bring some lovin' here today

Picket lines and picket signs
Don't punish me with brutality
Talk to me, so you can see
Oh, what's going on
What's going on
Ya, what's going on
Ah, what's going on

In the mean time
Right on, baby
Right on
Right on

Father, father, everybody thinks we're wrong
Oh, but who are they to judge us
Simply because our hair is long
Oh, you know we've got to find a way
To bring some understanding here today
Oh

Picket lines and picket signs
Don't punish me with brutality
Talk to me
So you can see
What's going on
Ya, what's going on
Tell me what's going on
I'll tell you what's going on - Uh
Right on baby
Right on baby

********************************************************************************

母さん

とてもたくさんの母親たちが声を上げて泣いている

兄弟たちよ

あまりにもたくさんの仲間が命を落としている

僕たちは見つけなくちゃいけない

今日、この世界に、愛をもたらす方法を

 

父さん

これ以上エスカレートさせる必要なんてないんだ

わかるよね、戦争が答えじゃない

愛だけが憎しみに打ち勝つことができる

僕たちは見つけなくちゃいけない

今日、この世界に、愛をもたらす方法を

 

デモ隊の行列 掲げるプラカード

暴力で僕を痛めつけないで

話してみて そうすれば君にもわかるさ

ああ、何が起こっているんだい?

何が起こっているんだい 何が起こっているんだい

 

それまでの間は そうさ、その調子でいくんだ

 

神よ

誰もが僕たちが間違っていると思っています

ああ、ただ髪が長いというだけで

僕たちを裁く人たちはいったい何者なんですか

僕たちは見つけなくちゃいけないんです

今日、この世界に、愛をもたらす方法を

 

デモ隊の行列 掲げるプラカード

暴力で僕を痛めつけないで

話してみて そうすれば君にもわかるさ

ああ、何が起こっているんだい?

何が起こっているんだい 

何が起こっているのか教えてほしい

何か起こっているのか、僕が話そう

そうさ、その調子さ、その調子で行くんだ、、、(拙訳)

 

********************************************************************************

  

 フランク・シナトラのようなジャズ・バラードを歌う歌手に憧れていた”イケメン”。

それがキャリア当初のマーヴィン・ゲイでした。

 それをモータウンの社長ベリー・ゴーディの手ほどきによって、ポップなR&Bシンガーとしてブレイクすることになったのです。

 そして1960年代後半は、タミー・テレルという女性シンガーとのデュエットでもヒットを連発していました。


Ain't No Mountain High Enough (extra HQ) - Marvin Gaye & Tammi Terrell

 

  しかし、タミーは病に倒れ、歌も歌えないほどの状態になりましたが、モータウンは彼らの曲の作曲家で彼女に歌い方を教えていたヴァレリー・シンプソンにタミーっぽく歌わせ、マーヴィントとタミーのデュエット作品としてリリースをしました。

 

 もともとモータウンの操り人形のような自分の状態に疑問を持っていた彼は、そのことで会社への不信感をいっそう募らせてゆき、妻(ベリー・ゴーディーの姉)との関係もこじれ、だんだんと心を病むようになって行きました。その結果、音楽の仕事からしばらく離れ、ベッドルームから一歩も出ないような日々を過ごすようになったと言われています。

 

 1970年3月にタミー・テレルが亡くなったことで、いっそう深いダメージを受け、完全に家にひきこもってしまった彼を立ち直らせるために、友人のプロ・フットボール選手、メル・ファーとレム・バーニーは、彼をフット・ボールに誘い出すことにします。

(タミーが亡くなってからショックで隠遁生活になったと書いているものがけっこうありますが、マーヴィンはその以前からすでに引きこもっていたんですね)

 

 するとマーヴィンは、だんだんと真剣にプロの選手になろうと思いこんで、ハード・トレーニングに打ち込むようになり、ウェイトを12kg増量し肉体もかなりビルド・アップしたそうです。しかし、まわりがなだめて説得することでその夢もあきらめ、また音楽の仕事に戻ることになりました。

 

 タミーが亡くなる少し前に彼は、一度音楽の世界に戻ろうとして、自分にとってウォーミングアップ的な仕事をやっています。モータウンのグループ”オリジナルズ”の曲を書き、プロデュースをしたのです。

 

「将来何かをやろうかいろいろ考えてみて、まず僕は自身の過去を検証しなければと思った。オリジナルズを聴いたとき、彼らの可能性に興奮した。4人の違った声のために曲を書くアイディアがとても気に入ったんだ」

 (「マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル」)

 

 1969年後半から1970年にかけて「ベイビー、アイム・フォー・リアル」(全米14位)、「ザ・ベルズ」(全米12位。1971年にローラ・ニーロがカバー)、「We Can Make It Baby」の3曲のシングルを手がけています。

 

 彼はオリジナルズのコーラス・ワークを考え指導していきます。そして、オリジナルズのコーラス・ワークを手がけたことが、アルバム「ホワッツ・ゴーイン・オン」での彼の一人多重コーラスにつながったことは間違いないでしょう。

 

 「We Can Make It Baby」という曲には、アルバム「ホワッツ・ゴーイン・オン」の雰囲気を思わせるところがあるように僕には思えます。 


We Can Make It Baby

 

 さて「ホワッツ・ゴーイン・オン」の作者はマーヴィンと、モータウンの作家アル・クリーヴランド、とフォー・トップスのメンバー、レナルド・オビー・ベンソンの3人の共作とされていますが、曲を思いついたのはベンソンだったようです。

 

 ベンソンはフォー・トップスのツアーで訪れたサンフランシスコで、ピープルズ・パークという土地をめぐって、デモ隊と警察が小競り合いをしているのを目撃します。

 

 「ヘイト・アシュベリーと呼ばれ、長髪の若者が集まっていた。警察は彼らをたたいていたが、彼らは誰にも迷惑をかけていなかった。僕はそれを見て、一体何が起こっているのだろうと考え始めたんだ。ここで何が起こっているんだろう?疑問はまた次の疑問につながっていった。なぜ彼らは若者を家族から遠く離れた海外に送るのか?なぜ彼らは自分たちの子供をこの街の通りでで攻撃しているのか?って」

 (The Guardian)

 

 ベンソンは、スモーキー・ロビンソンとよく仕事をしていた作詞家のアル・クリーブランドの協力を得て、これらの問題に取り組んだ曲を作り始めました。

 

 そしてフォー・トップスのメンバーに聴かせてみると、プロテストソング(政治的な抗議をするメッセージ・ソング)だということで却下されてしまいます。

 

 その後、彼はイギリスで有名なTV番組に出演した時に、一緒に出ていた有名な女性シンガーに楽屋でこの曲を聴かせ、歌ってみないかと頼んだことがあったそうです。ベンソンは彼女の名前を忘れてしまったようですが、それはジョーン・バエズではないかと言われています。

 

 その後ベンソンはマーヴィンに聴かせると、まだ自分で歌う気持ちになれなかった彼はオリジナルズに歌わせようと言い出しますが、マーヴィンがこの曲を歌うのを聴いた彼はマーヴィンしかいないと思います。そして、曲の権利をいくらか渡すからぜひ歌ってほしいと交渉したそうです。

 

 その結果マーヴィンは自分で歌うことにし、歌詞をいくらか書き、メロディをいくつか修正しました。

 ベンソンはマーヴィンの曲の関わりについてこう語っています。

 

「彼は曲を微調整(fine-tuned)したんだ。言い方を変えれば異なる色彩を加え、もっとゲットーな感じ、もっとナチュラルな感じを加えたのさ。それが、この曲を歌というより物語のようにしている。彼は曲を視覚化させたんだよ」

   (The Guardian)

 

 マーヴィンの歌詞のインスピレーションになったのは、彼の弟フランキーがヴェトナム戦争で経験したことでした。

「僕がヴェトナムで目撃した死と破壊には本当にうんざりさせられた。戦争は無意味で、間違っていて、不当だ。そうしたすべてを僕はマーヴィンに伝えた」

(「マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル」)

 

 兄弟といっても関係は薄く、マーヴィンは戦地に手紙すら送ってこなかったそうですが、この戦争体験によってフランキーはマーヴィンからリスペクトされることになったようです。

 フランキーの体験談はアルバムで「ホワッツ・ゴーイン・オン」とメドレーのようにつながっている2曲めの「ホワッツ・ハプニング・ブラザー」によりはっきりと反映されています。

www.youtube.com

ヘイ、ベイビー、何だと思う?
俺は戻れるんだ、知ってたかな
戦争は地獄さ...いつ終わるんだ?
いつになったらみんなまた集まれるんだろう?
状況は本当に良くなっているのか?新聞に書いてあったみたいに
何か新しいことあったかい?新聞に書いてあることじゃなくて

 

 

 

 また「ホワッツ・ゴーイン・オン」というタイトルは、友人でフットボール選手のメル・ファーの一言がきっかけだったという話もあります。

 

「ある日、レムとマーヴィンと私でゴルフをした後、私たちはアウター・ドライヴのマーヴィンの家に戻った。みんなその日はスコアがよくて、気分良く座って雑談をしていた。その時私が言ったんだ。『ヘイ、ホワッツ・ゴーイン・オン(調子はどうだい?)』とね。するとマーヴィンが『曲のタイトルにしたらかっこいいじゃないか、オリジナルのように1曲書こう』と言った。それからピアノをポロポロ弾きだしたんだ」

(「マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル」)

 

 メルはそれが「ホワッツ・ゴーイン・オン」になったと言っていて、真偽は定かではありませんが、いろんな証言を合わせると、ベンソンの曲にこの時マーヴィンが作った曲のニュアンスを足したと見るのが良さそうな気がします。

 

 この曲のイントロで、男たちが”What's Happening"などと声を掛け合っていますが、

そこにはメル・ファーとレム・バーニーも入っています。マーヴィンの家でのやりとりを再現しているのかもしれません。

("What's Going Onという歌詞はベンソンとクリーヴランドが書いたとする本もあります)

 ”What's Going On"は最初「調子はどう?」っていう軽いあいさつの意味から始まって、曲が進んでいくと「世の中ではいま一体何が起こっているんだ?」っていうシリアスな意味へとかわり、同じ言葉なのに使われ方によって比重がぐんと大きくなるという、そんな仕組みがある曲なんですね。

 

 ちなみにマーヴィンは「ホワッツ・ゴーイン・オン」のレコーディングをやる気になかなかなれなかったようで、ベンソンとクリーヴランドがひと月くらい説得したという話もあります。

 

 しかし曲が完成すると、メッセージ・ソングはモータウンに合わないという理由でこの曲をシングルにすることに反対したベリー・ゴーディに対し、マーヴィンはリリースしなければ二度とモータウンで録音しないと、強硬な姿勢を貫きます。

 

 それまで、”操り人形”であったマーヴィンが、初めて見せる強い意志でした。何よりそれだけ価値のある作品ができたという自負があったはずです。

 

 この希代の名曲を語る時、タミー・テレルの死などにより精神的ダメージを受けていた彼が、弟のヴェトナム体験に触発され復活した、などと要約されることが多いようですが、実際はもっと”グズグズしながら”進んでいたわけですね。

 

 まわりからいろいろお膳立てされてゆく中で、ベンソンの書いた曲、オリジナルズとの仕事、フランキーの体験談、いろんなものが、鍋の中でじっくり煮込まれるように、時間をかけて融合されていったのです。

 

 そして彼の新たな創作のスイッチは「ホワッツ・ゴーイン・オン」を作る過程の中で生まれたのだと思われます。

 

 よ〜し!社会的な反戦歌を作るぞって、気合いを入れて作り始めたんじゃなく、まわりに後押しされて、なんとなく作業していくうちに、いつのまにか思いっきり”ゾーン”に入っていたんですね、きっと。

 

 クリエイターの創造力というのは、頭だけでなく、手、足、体を動かしながら、生まれ、育ってゆくものなんだという気がします。彼のような巨大な才能も例外じゃない、ということなのだと思います。

 

 そして、マーヴィン・ゲイは、クリエイターとしてはスティーヴィ・ワンダーのように自分の内面に”創作の燃料”がたっぷりあった天才ではなく、生涯を通じて自身を触発してくれるものを常に必要としていた天才、そんな風に僕には思えます。

 

 

 最後は、2019年に新たに制作されたオフィシャル・ビデオを。


Marvin Gaye - What's Going On (Official Video 2019)

 

 

 

 

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

 

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

popups.hatenablog.com

 

f:id:KatsumiHori:20210331114647j:plain