まいにちポップス(My Niche Pops)

令和初日から毎日、1000日連続で1000曲(せんきょく)を選曲(せんきょく)しました。。。古今東西のポップ・ソングのエピソード、洋楽和訳、マニアックなネタ、勝手な推理、などで紹介しています。キャッチーでメロディアスなポップスは今の時代では”ニッチ”なものになってしまったのかなあとも思いますが、このブログを読んでくださる方の音楽鑑賞生活に少しでもお役に立てればと願っています。みなさんからの追加情報や曲にまつわる思い出などコメントも絶賛募集中です!text by 堀克巳(VOZ Records)

「ロクサーヌ(Roxanne)」ポリス(1978)

 おはようございます。

 今日はポリスの「ロクサーヌ」を。


The Police - Roxanne

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Roxanne
You don't have to put on the red light
Those days are over
You don't have to sell your body to the night
Roxanne
You don't have to wear that dress tonight
Walk the streets for money
You don't care if it's wrong or if it's right

Roxanne
You don't have to put on the red light
Roxanne
You don't have to put on the red light

(Roxanne) put on the red light
(Roxanne) put on the red light、、、

I loved you since I knew ya
I wouldn't talk down to ya
I have to tell you just how I feel
I won't share you with another boy
I know my mind is made up
So put away your make-up
Told you once, I won't tell you again it's a bad way

Roxanne
You don't have to put on the red light
Roxanne
You don't have to put on the red light

You don't have to put on the red light (Roxanne)
(Roxanne) put on the red light、、、

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ロクサーヌ

もう赤いライトはつけなくていいんだ

そんな日々はおしまいさ

もう夜に身体を売ることはないんだ

ロクサーヌ

今夜はそのドレスを着なくてもいいんだよ

金目当てで通りを歩かなくてもいいんだ

それが間違っていることか正しいことかなんて

君はどうでもいいんだとうけど

 

ロクサーヌ、赤いライトはつけなくいいんだよ

ロクサーヌ、赤いライトはつけなくていいんだよ、、、

 

君のことを知ってからずっと愛している

君の客みたいに見下ろした態度はしないよ

感じたままを君に伝えなくちゃね

他のヤツらと君を分け合うなんてイヤなんだ

オレの心は決まってるんだ だから化粧を落としてくれ

一度君に言ったから、二度と言わないよ、それは悪いやり方さ。

 

ロクサーヌ、赤いライトはつけなくいいんだよ

ロクサーヌ、赤いライトはつけなくていいんだよ、、、”(拙訳)

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  この曲はポリスのメジャー・デビュー・シングル(1978年)で最初はチャートインすらしませんでしたが、翌1979年に再リリースすると全英12位、アメリカでも彼らのデビュー・シングルとしてリリースされ32位まであがりました。

 

 この曲の”ロクサーヌ”とは娼婦だということはファンにはよく知られています。

 まだデビュー前の彼らが、パリのサンジェルマンにある「ナッシュビル・クラブ」でライヴを行った時に、滞在した安宿の近くの路地に娼婦たちがいたそうです。

 

「坂になった路地にはざっと二十名ほどの女が、各々戸口にもたれかかってチェーンスモーキングをしている。てかてかしたレインコートの前をはだけ、その下には短いスカートに安物のブーツ、もしくはハイヒール。まるでB級映画のスパイよろしく、上目遣いに通りを見つめている」

 

 そして、その彼が泊まっている汚いホテルのロビーに、フランスの国立劇団”ラ・コメディー・フランセーズのポスターが貼られていることに彼は気づきます。

 舞台の題目は「シラノ・ド・ベルジュラック」(エドモン・ロスタン作)でした。

 

 17世紀のフランスの物語で、主人公のシラノ・ド・ベルジュラックは詩人、理学者で剣術家で、豊かな才能と強い正義感を持った人物なのですが、生まれついて大きくて醜い鼻のコンプレックスのせいで従妹のロクサーヌへの恋心を打ち明けられないでいます。
 ロクサーヌのほうはシラノと同じ青年隊の美男子のクリスチャンを想い、シラノに恋の相談をもちかけます。クリスチャンもまたロクサーヌに想いを寄せていて、シラノは二人の恋の仲裁役をつとめる羽目になります。シラノは口下手で文才のないクリスチャンに代わりラブレターを代筆し、、、といった内容です。

 

「愛しても愛されることのない男。そして彼が愛し、届かない女性。その名はロクサーヌ

 その夜、部屋に戻った私は、一人の少女にまつわる歌を書いた。彼女をロクサーヌと名付けた。ホテルの窓の下の通りで稼ぎもないまま立ちすくむ少女を思う浮かべ、ロスタン作の悲しい劇に重ね合わせたロマンスの主役に仕立てた。彼女の創造は私の人生を変えた」

                         (「スティング」)

 

 この曲のキーとなるフレーズ”You don't have to put on the red light”(君は赤いライトをつけなくていいんだ)の”赤いライト”とは、”red-light district"(売春宿の多いエリア)のいう言葉の元になっている売春宿の灯の色、もっとさかのぼると17世紀ごろオランダでは娼婦は赤いランタンを持っていたことがあるそうで、娼婦を象徴するものとして使われたのだと思われます。

 スティングはデビュー前に実際にオランダにライヴに行ったときに売春地区にあるホテルに宿泊し、部屋の窓から通りを隔てて、窓際に座り、安っぽい電燈の赤い灯りでペーパーバックを読む女の姿を見たと自伝で語っているので、そういう具体的なイメージが「ロクサーヌ」の歌詞に反映されたのかもしれません。

 

 娼婦がテーマの歌と言うと、ショッキングなものだと解釈されてしまいそうですが、かえってそういうテーマでなければ生まれないような特別なロマンチズムをスティングは見事に曲にしているように僕には思えるんです。

 出口のない状況の中で、主人公の男性のピュアで一途な、でも少し妄想的でもある恋愛感情だけが突っ走る、というとても映画的な歌のように感じます。

 

 

ロクサーヌ」はもともと違った曲調をイメージして作られたそうです。

 

「<ロクサーヌ>=最初はジャズっぽいボサノバとして書いたものだが、バンド演奏の試行錯誤が繰り返された末に、ハイブリッドなタンゴに進化していった。各小節の二拍目をベース飛ばすドラで強調し、不均衡なアルゼンチン風リズムにしようと提案したのはスチュワート(コープランド=ポリスのドラマー)だ」

                        (「スティング」)

 パンク・ムーヴメント後期の音楽シーンで活路を探していた彼らですから、さすがに、ボサノバの曲をやるわけにはいかなかったでしょうし。

 

 しかし、僕がこの「ロクサーヌ」という曲の素晴らしさに気づいたのは、スティングのドキュメンタリー映画「ブリング・オン・ザ・ナイト」(1985年)で披露した、ジャズっぽいボサノバにアレンジされたものを聴いたからでした。でも、こちらのほうが、元々スティングが想定していたアレンジだったんですね。

   この歌の世界の映像がよりはっきりと浮かび上がってくるように思えます。

 映画の映像はアップされてなかったですが、その映画で共演していたスティングとブランフォード・マルサリスが演奏しているものがありましたので、そちらをぜひ。


Sting - Branford Marsalis - Roxanne

 

 「ロクサーヌ」のカバーの中では、この曲の物語の世界観を徹底して押し広げたようなジョージ・マイケルのヴァージョンが聴きものです。

 ワム!で陽気なポップ・スターとして世に出た彼ですが、キャリアの最後の方の彼には、どうしようもなくロマンティックで、でも救いがたいほど孤独だという、特異な存在感がありました。そんな彼にこの曲はぴったりだったように思います。

 


George Michael - Roxanne (Live)

 

アウトランドス・ダムール

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「さよならハリウッド(Say Goodbye Hollywood)」ビリー・ジョエル(1976)

 おはようございます。

 今日も追悼フィル・スペクター。彼のサウンド・スタイルを意図的に取り入れた”オマージュもの”のなかから、有名なビリー・ジョエルの「さよならハリウッド」を。


Billy Joel - Say Goodbye to Hollywood (Official Video)

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Bobby's driving through the city tonight
Through the lights
In a hot new rent-a-car
He joins the lover in his heavy machine
It's a scene down on Sunset Boulevard

Say goodbye to Hollywood
Say goodbye my baby
Say goodbye to Hollywood
Say goodbye my baby

Johnny's taking care of things for awhile
And his style is so right for Troubador's
They got him sitting with his back to the door
Now he won't be my fast gun anymore

Moving on is a chance that you take anytime you try to stay together
Say a word out of line and you find that the friends you had are gone
Forever...forever


So many faces in and out of my life
Some will last, some will just be now and then
Life is a series of hellos and goodbyes
I'm afraid it's time for goodbye again

 

Say goodbye to Hollywood
Say goodbye my baby
Say goodbye to Hollywood
Say goodbye my baby              

 

Moving on is a chance that you take anytime you try to stay together
Say a word out of line and you find that the friends you had are gone
Forever...forever

 

So many faces in and out of my life
Some will last, some will just be now and then
Life is a series of hellos and goodbyes
I'm afraid it's time for goodbye again

 

Say goodbye to Hollywood
Say goodbye my baby
Say goodbye to Hollywood
Say goodbye my baby              

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ボビーは今夜街の灯のなかを駆け抜けてゆく

いかした新しいレンタカーで

ヤツは最高のマシーンで恋人と合流するのさ

サンセット・ブールヴァードじゃおなじみの光景さ

 

さよならハリウッド さよならオレのベイビー

さよならハリウッド さよならオレのベイビー

 

当面はジョニーがなんとかやってくれるだろう

ヤツのスタイルはオレみたいな吟遊詩人にはぴったりだ

彼らはヤツをドアに背中を向けて座らせたんだ

ヤツはもうはオレを守ってくれることはないだろう

 

おまえが一緒にいようとするときだっていつも

ここを出てゆくことはチャンスなんだよ

言いすぎたことを言えば、友達だったヤツもいなくなるんだ

永遠に、、

 

オレの人生にはいろんな顔が現れて消えてゆく

ずっと続くヤツもいれば その時だけのヤツもいる

人生は”ハロー”と”グッバイ”のくりかえし

また”グッバイ”を言う時が来てしまったようだ

 

さよならハリウッド さよならオレのベイビー

さよならハリウッド さよならオレのベイビー    ” (拙訳)

 

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 代表的な”ご当地アーティスト”としてニューヨーク市民からこよなく愛されているビリー・ジョエルですが、キャリアの初期に悪徳(?)マネージメントから離れるために

西海岸に拠点を移していた時代があります。そこで作られたアルバムが「ピアノ・マン」と「ストリートライフ・セレナーデ」でした。そして、またニューヨークに戻って作ったのが「ニューヨーク物語(Turnstyle)」で、そこからのファースト・シングルがこの「さよならハリウッド」でした。

 アルバムの多くの曲がニューヨークに戻ってからのものですが、この曲は西海岸を離れる時のことを歌ったものです。

 

 この曲の歌詞は、特定の人物のことに触れています。

 それは歌詞の2番に出てくる”ジョニー”で、西海岸時代の暫定的なマネージャーだったジョン・トロイのことなのだそうです。

 ジョンはバーテンダーあがりで音楽業界の仕事もしていた人物で、ビリーが悪徳マネージメントから逃れている間マネージャー役を買って出てくれたそうです。

 人間的にも、まわりの評判も悪くなかったのですが、メジャー・アーティストとして売れるためには、もっと力のあるマネージメントが必要だという結論に達したビリーは彼とたもとを分かつことにします(そのあと彼のマネージャーになったのは奥さんのエリザベスでしたが、、)。

 ジョニーを”ドアに背中を向けて座らせた”彼らというのは、ビリーの弁護士や会計士、そしてビリー自身のことなのだそうです。

 

「ジョンのマネジメントではこれ以上の発展は見込めないという結論に達したんです。このくだりは西部劇になぞらえて、(保安官の)ワイルド・ビル・ヒコックは店のドアに背を向けて立たないように常に気をつけていたそうですが、ある日、うっかり背を向けたとたん、射殺されるんです。同じようにジョンもうっかり背を向けたために、解雇という弾に気づけなかったという意味なんですよ」

 (「イノセントマン ビリー・ジョエル100時間インタヴューズ」)

 

 こんなこと、一般の人は歌詞を聴いてもわからないですよね(苦笑)。でも、それで成立しちゃうわけですから、ポップ・ミュージックって不思議なもんです。

 

 このシングルはチャートにすら入りませんでしたが、ビリーが大ブレイクした後、ブレイク前の楽曲にスポットライトをあてる目的で作られたライヴ・アルバム「ソングス・イン・ジ・アティック」(1981)からのシングルとして全米17位のヒットになりました。


Billy Joel - Say Goodbye to Hollywood (Audio)

 

 この曲はフィル・スペクターがプロデュースしたロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」をイメージしたことは広く知られています。

 フィル・スペクターのアレンジを踏襲しながらも、ビリーは歌い手としてもロネッツのボーカル、ロニー・スペクターをイメージしているようです。

 ロニーは「ビー・マイ・ベイビー」の他にも「ユー・ベイビー」「ベイビー、アイ・ラヴ・ユー」などのヒットがある、ポップス界最高の”ベイビー”の使い手(!)なんですね。彼女の発する”ベイビー”の虜になった男は多かったようで、ジョン・レノンはロニー・スペクターに会った時に「僕のためだけに耳元で”ビー・マイ・ベイビー”を歌ってほしい」と懇願してたたので彼女は歌ってあげた、なんてエピソードがあるくらいです。

 ビリーもこの曲で”ベイビー”をわざと、ロニーを彷彿させるような節回しで歌っています。

 

  そして、当のロニー・スペクターがこの曲をカバーすることになります。

フィル・スペクターの妻だった彼女は、彼に長年苦しめられていましたが、ようやく1974年に離婚することができました。彼の支配下にあったためアーティストとして長いブランクがありました。

 1975年に「You'd Be Good For Me」というフィル以外のプロデューサーによるシングル(ディスコ)をリリースしますが、全く不発に終わります。

 そこに現れたのが、スティーヴ・ヴァン・ザント。ブルース・スプリングスティーンのバンド”E. STREET BAND”のギタリストでプロデューサー。彼女のファンだった彼は、1976年にまず自分がプロデュースするサウスサイド・ジョニーのデュエット相手として彼女を呼び、"E.STREET BAND”の演奏で1977年に彼女のシングルをプロデュース出すことにし、選ばれた曲が「さよならハリウッド」だったのです。


Ronnie Spector & The E Street Band - Say Goodbye To Hollywood

 演奏していたかはわかりませんが、スプリングスティーン本人もこのシングルのジャケットに載っています。

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  スプリングスティーンは「明日なき暴走」(1975)という代表作で、自己流フィル・スペクターサウンドを作るために膨大な時間を費やしていて、実際フィルの現場に見学に来たこともあったそうです。フィル・スペクターの楽曲に魅了された一人なんですね。

 ロニー・スペクターは語っています。

ニュージャージーのアズベリー・パークのストーン・ポニー(ブルース・スプリングスティーンのホームグラウンド)に歌いにいった時、ブルースがステージに上がって来てくれて、ビリー・ジョエルが隣に座ってくれたの。みんな私を崇拝してくれたのよ、私は言ったわ”それ私のこと?”って」

                             (Rolling Stone)

 長く苦しいブランクがあった彼女にとっては本当に嬉しい瞬間だったことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ブルース・スプリングスティーンとスティーヴ・ヴァン・ザントは、もうひとり、フィル・スペクターの歌姫だった彼女のカムバックもサポートしました

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「会ったとたんに一目惚れ(To know him is to love him)」テディ・ベアーズ(1959)

 おはようございます。

 フィル・スペクターが16日にコロナ・ウィルス感染による合併症で亡くなりました。ですので、今日は彼の曲を選びました。まだ18歳の彼がメンバーだったグループ、テディ・ベアーズ。この邦題僕は大好きなんですが、「会ったとたんに一目惚れ」です。


The Teddy Bears - To Know Him Is To Love Him [The Perry Como Show 1958]

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To know, know, know him is to love, love, love him
Just to see him smile, makes my life worthwhile
To know, know, know him is to love, love, love him
And I do (and I do, and I, and I do, and I, and I do, and I, and I do, and I)

I'd be good to him, I'd bring love to him
Everyone says there'll come a day when I'll walk alongside of him
Yes, just to know him is to love, love, love him
And I do (and I do, and I, and I do, and I, and I do, and I, and I do, and I)

Why can't he see how blind can he be?
Someday he will see that he was meant for me, oh oh, yes

To know, know, know him is to love, love, love him
Just to see him smile, makes my life worthwhile
To know, know, know him is to love, love, love him
And I do, yes I do, yes I do (and I do, and I, and I do, and I, and I do, and I, and I do, and I)

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 彼を知るってことは 彼を愛するってこと

    彼が微笑むのを見ることだけで 私の生きがいになるの

 彼を知ったら 誰もが愛してしまうの

 だから私もそうなの、そうなの、そうなの、、

 

 彼にやさしくするわ 愛を届けてあげる

 みんな言うの 私が彼のすぐ横を歩く日が来るって

 そう、ただ彼を知るだけで 愛してしまう

 そして私もそうなの、そうなの、そうなの、、

 

 どうして彼は自分が何にも見えてないことに気づかないの?

 いつか彼だって 彼が私のために生まれてきたってわかるはず

 

 彼を知るってことは 彼を愛するってこと

    彼が微笑むのを見ることだけで 私の生きがいになるの

 彼を知ったら 誰もが愛してしまうの

 だから私もそうなの、そうなの、そうなの、、” (拙訳)

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  若いうちから野心に満ち溢れていたフィル・スペクターは、古くからの音楽仲間のマーシャル・リーヴスとともに、自主制作レコードを作ってレーベルに売り込み、デビューしようと考えていました。

 その費用を彼はカンパで集めたのですが、協力してくれたひとりに、フィルのガール・フレンドの友人、アネット・クレインバードがいました。彼女は彼らの練習によく立ち会っていましたが、お金のことを相談されると自分も仲間に入るという条件でそれにのったのだそうです。

 彼女同様、やはりカンパに協力したハーヴェイ・ゴールドスタインもメンバーになり四人組でスタートします。

 そしてレコーディングされたのが「Don't You Worry My Littel Pet」という曲でした。


Don't You Worry My Little Pet (Remastered)

 そして無事、エラ・レコードというレーベルと契約を結ぶことができました。

 

「Don't You Worry My Littel Pet」をシングルでリリースすることになり、グループ名を決めることになり、ハーヴェイが当時エルヴィス・プレスリーの「テディ・ベア」が大ヒットしていたので、テディ・ベアーズという名前を提案し、採用されました。

 

 そして「Don't You Worry My Littel Pet」のB面が必要になり、フィルが書き下ろしたのがこの「会ったとたんに一目惚れ」でした。

 ハーヴェイは徴兵回避のため予備校や基礎訓練キャンプに行くためグループを離れ、サンディ・ネルソンというドラマーを入れ、この曲をレコーディングします。

 

「Don't You Worry My Littel Pet」はまったくヒットしなかったのですが、あるラジオDJがB面のこの曲をオンエアしたことから状況が一転します。そして、レーベルも AB面を逆にして、このシングルを再リリースすると、チャートを駆け上ってゆき、なんと全米1位にまでのぼりつめました。

 

   この曲が大ヒットしたことについてメイン・ボーカルのアネットはこう語っています。 

「なによりもまず、あのころはバラードをやるなんてことは考えられなかった。「会ったとたんに一目惚れ」はガール・バラードの先駆けだったんです。ああいう曲が、女の子の、イノセントな白人っぽい声で歌われることなんてなかったから」

                 (「フィル・スペクター蘇る伝説」)

 ロックンロールが生まれる前は、ポップ・ミュージック界は”大人の世界”だったようです。大人向けか、大人が自分の子供に買ってあげるものしか作られていなかった。そこをロックンロールが変えたんですね。十代がユーザーになり、演奏者にもなっていった。いまは、音楽は若者がメインだと当たり前に思われていますが、ずっと昔からそうだったわけじゃないんですね。

 

「会ったとたんに一目惚れ」以前は、若いアーティストが歌うのはノリがいい曲ばかりですし、バラードは大人の女性シンガーが歌っていた、そんなところに、まだ18歳だったアネットがティーンらしい心情をのせたバラードを歌った、その斬新さが大ヒットに結びついたのかもしれません。

 

 そして、この曲はフィル・スペクターがアネットの声を際立たせる曲として書いたものでした。「Don't You Worry My Littel Pet」は全員が一緒にコーラスしている曲でしたが、男声と女声のパートが分かれた「Wonderful Lovable You」という曲をレコーディングしているときに、フィルはアネットの声に魅かれ、それが「会ったとたんに一目惚れ」を書かせることになりました。


Wonderful, Lovable You

 自分が主役としてバンドを結成した彼が、コーラスの女の子の声の魅力に気づいて、それが映える曲を書いた、というのはやがて大プロデューサーとなる彼のプロデュース感覚の萌芽だったと見ることができるんじゃないでしょうか。

 

 

 もう一つこの曲について触れておかなかればならないのは原題の「To Know Him Is To Love Him」というのは、フィル・スペクターの父親の墓碑に刻まれている言葉だったということです。

 彼の父親は鉄工所に勤めていて、フィルが10歳の時にいつものように仕事で家を出たあと、鉄工所のすぐそばで車を止め自殺をしてしまったそうです。そのことが、フィルのパーソナリティにも深く影響を及ぼすことになったようです。

 子供たちやまわりの人の目からは陽気で楽しいことの好きな人物と映っていた彼のことを表した言葉が「To Know Him Is To Love Him」だったのです。

 ある日、フィルが眠ろうとしたときに、夢うつつのなか自分が父親の墓碑のそばにいる映像とその墓碑の言葉が浮かんできたそうです、そして彼は起き上がってギターを手にしてこの曲を書いたと言われています。

 

 この曲は、父の死という彼の少年期の一番大きなトラウマを起因にして、彼のプロデューサー感覚の萌芽とも呼ぶべきものが動力となったという、彼にとってとても重要な曲だったんじゃないかと僕は考えています。

 

 さて、作品と作った人間の人間性は切り離して考えるべき、という意見には僕も同意するのですが、フィル・スペクター最後は殺人罪で収監されていたわけですから、切り離してとらえることが難しくもあります。ここまで、自分の経歴を台無しにするほど破滅してしまうと、嫌悪じゃなく哀しみのほうが強くなります。

 個人的なことですが、僕は大瀧詠一の「A LONG VACATION」、佐野元春「SOMEDAY」、ビリー・ジョエル「さよならハリウッド」、ブルース・スプリングスティーン「ハングリー・ハート」などからさかのぼってフィル・スペクターを知ったので、リアルタイムのファンではないのですが、数多ある「〜サウンド」の中で彼の作った”ウォール・オブ・サウンド”が一番好きでした。彼のサウンドを真似した曲までも集めていた時期もありました。

 あなたが最もポップスらしいと思う曲を1曲上げろと言われたら、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」を選びますし。

 そんな人が、獄中でコロナ・ウィルスで亡くなってしまう、というのは、本当になんとも言えない気分になります。

 

 

 さて、「会ったとたんに一目惚れ」は数多くカバーされていますのでいくつかご紹介します。

  まずはビートルズ。彼らのデビュー前のライヴ・レパートリーだったようで、デッカ・レコードのオーディション用に録音されたもの、とあと「Live At BBC」に収録されています。

 タイトルは男性が歌うので「To know her is to love her」に変えられています。


To Know Her Is To Love Her (Live At The BBC For "Pop Go The Beatles" / 6th August, 1963)

 ジョン・レノンがこの曲を好きだったんでしょうね。ビートルズの2ヴァージョンとも彼がリードを歌っていますし、ソロになってからも、アルバム「ロックンロール」セッションでレコーディングしています。しかしこちらは一度ボツになり、のちに「メンローヴ・アベニュー」に収録されました。プロデュースはフィル・スペクター本人。

www.youtube.com

 

 1965年にはピーター&ゴードンが「To Know You Is to Love You(邦題:つのる想い)」というタイトルにして全英5位のヒットにしています。


To Know You Is to Love You

 この曲の持つ特別な儚さを完全に汲みとったようなエイミー・ワインハウスのカバーが、僕はベストだと思います。


To Know Him Is To Love Him (Live)

 変わったところでは、ニッポン放送のパーソナリティ三人組”モコ・ビーバー・オリーブ”がカバーしています。こちらのタイトルは「つのる想い」の方を採用しています。

「会ったとたんに一目惚れ」だと、女の子の切ない気持ちが、あらわせないですからね。

www.youtube.com

それでも、「会ったとたんに一目惚れ」って、語感もノリもいいフレーズだなあ、と惹かれてしまうんですよね(苦笑)

 

 

 

 

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「ガルベストン(Galveston)」グレン・キャンベル(1969)

 おはようございます。

 今日はグレン・キャンベルの「ガルベストン」です。


Galveston (Remastered 2001)

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Galveston, oh, Galveston
I still hear your seawinds blowing
I still see her dark eyes glowing
She was twenty one, when I left Galveston

Galveston, oh, Galveston
I still hear your seawaves crashin
While I watch the cannons flashin'
I clean my gun, and dream of Galveston

I still see her standing by the water
Standing there looking out to sea
And is she waiting there for me
On the beach where we used to run


Galveston, oh, Galveston
I am so afraid of dying
Before I dry the tears she's crying
Before I watch your sea birds flying
In the sun, at Galveston, at Galveston

********************************************************************************

ガルベストン、おお、ガルベストン

なつかしい海風が今も聴こえるよ

あの娘の黒い瞳の輝きが今も目に浮かぶ

彼女は21歳だった、僕がガルベストンを後にした時は

 

ガルベストン、おお、ガルベストン

波の砕ける音が今も聴こえるよ

こうして大砲が火を吹くのを見ている間もね

僕は銃を磨き、ガルベストンを夢に見るんだ

 

波打ち際に立つ彼女が今も目に浮かぶ

そこに立って、遠く海を見つめているんだ

そこで彼女は僕を待っていてくれるだろうか?

二人よく走ったあの渚で

 

ガルベストン、おお、ガルベストン

僕は死ぬのがとても怖いんだ

まだ彼女の涙をふいてあげていないし

まだあの海鳥が太陽に向かって飛ぶ姿を見ていないから

あのガルベストンの、あのガルベストンの、、、      ”(拙訳)

 

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 ガルベストンはアメリカ、テキサス州にあるメキシコ湾に面した古い港町(ヒューストンのすぐ南)で、この曲の作者ジミー・ウェッブは実際にガルベストンの浜辺で書いたと言います。

 ジミー・ウェッブが作ってグレン・キャンベルが大ヒットさせた歌には他に「恋はフェニックス」と「ウィチタ・ラインマン」と、地名が入った曲という共通点があって、日本のファンには”ご当地ソング3部作”などと呼ばれています。

 

 「恋はフェニックス」は恋人の元を離れ一人車を走らせる男の歌で、「ウィチタ・ラインマン」は恋人を思いながら黙々と働く架線工の歌、そしてこの「ガルベストン」は戦地から故郷に残した恋人のことを思う歌で、歌の世界が情景をイメージしやすく感情移入しやすいものであれば、その土地に行ったことがあるかないかなどは関係なくなるんだということを証明しています。

 (「函館の女」とか「長崎は今日も雨だった」などをカラオケでよく歌う人の中には

その土地に行ったことない人もたくさんいるでしょう)

 

   特にこのご当地ソング3部作に共通しているのは、主人公はある女性のことを思っていて、今彼女と彼は遠く離れている状況にある、ということです。具体的な土地名をあげることで”その距離”を強く印象づける効果があるのではないかと僕は思います。

 

 また「ガルベストン」をジミーが書いた時、メキシコ湾の向こうにキューバがある場所だったからでしょうか、米西戦争に赴いた兵士をイメージしたそうですが、曲が発売された時はちょうどベトナム戦争の最中で、聴いた人はみな主人公はベトナム戦争に行っているのだと解釈したそうです。

 

 さて、この「ガルベストン」ですが、最初に歌ったのはグレン・キャンベルではありません。

 オリジナルはドン・ホーというハワイ出身のエンターテイナーで「タイニー・バブルス」という曲で知られています。

 こちらが「ドン・ホー」のヴァージョンです。シングルのB面でした。


1st RECORDING OF: Galveston - Don Ho (1968)

2番の歌詞が違いますね

”Galveston, oh Galveston   Wonder if she could forget me
I'd go home if they would let me
Put down this gun    And go to Galveston

ガルベストン、ガルベストン。彼女は僕のことを忘れられるだろうか?

彼らが許してくれたら 家に帰るのに 銃を置いてガルベストンに行くんだ”

 

 グレンのヴァージョンのほうがいい気がしますね。目の前で大砲の音がしているのに、そこに遠い波音を重ねるというのがすごく切ないですし。

 

 ちなみに、ドンが1969年にキャンベルの番組『ザ・グレン・キャンベル・グッドタイム・アワー』に出演した時に、キャンベルにこのシングルのコピーを渡し、"俺はこれで運がつかめなかったけど、たぶんお前ならいけるんじゃないか "と言ったことから、このカバーは生まれたと言われています。

 

 最後に2001年のグレンのライヴ・ヴァージョン。1960年代にアメリカ西海岸の凄腕スタジオ・ミュージシャン集団”レッキング・クルー”のギタリストとして鳴らしたグレンの素晴らしいギター・ソロが聴けます。


Glen Campbell Live in Concert in Sioux Falls (2001) - Galveston

 

 

ジミー&グレンの”ご当地ソング3部作”のあと2作です。

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「ロビンソン」スピッツ(1995)

 おはようございます。

 今日はスピッツの「ロビンソン」です。


スピッツ / ロビンソン

 スピッツは1987年にメンバーが20歳の時に結成され、メジャーデビューが1991年ですから4年かかっています。そして、初ヒットとなったこの「ロビンソン」が1995年ですから、これまた4年かかっています。結成から考えると8年ですから、かなり時間がかかったブレイクだと言えるでしょう。

 

「う〜ん、あの曲は特に新しい試みも何もないし、今までとあまり変わらない。ニュートラルなスピッツな曲で、それが売れちゃったというのはどういうことなんだろうって未だによくわからないことではあるんですけど、自信は元からあったといえばあったんですよ(笑)」

 大ヒット直後の草野マサムネのインタビューも、けっこう醒めています(苦笑。

 調べてみるとドラマやCMなどの大きなタイアップがあったわけじゃないんですね。

今田耕司のシブヤ系うらりんご』というフジテレビの月〜金、夕方のバラエティ番組のエンディング・テーマだったそうで、視聴率はよくなかったそうですから、そのタイアップが大ヒットの起爆剤ではなさそうです。

(しかし、その番組の次のエンディング・テーマがシャ乱Qの「ズルい女」だったそうで、何か”持っていた”のかもしれませんが)

 

 スピッツはメンバー全員がハード・ロックが好きで楽器を始め、初期はブルーハーツに大きな影響を受けたパンク・ロックのスタイルだったそうです。

 しかし、ライヴハウスの人から「ブルーハーツに似ているから、それじゃあ先は望めない」と言われ、草野がアコギを持ち出しそれで曲を書くようになったそうです。

 その最初の曲が「恋のうた」で、それをきっかけに曲のスタイルが変わっていきました。

 ちなみに、スピッツは最初から歌詞に英語を使わないことについて、草野は「自分の中で勝手に桑田佳祐佐野元春に対するアンチテーゼみたいな気持ちがあって」と語っています。


[Vietsub] Spitz - Koi no uta「恋のうた - スピッツ」

 メジャー・デビューを果たしリリースのたびに関係者からの評価は高かったもののなかなか売れず、バンドとしてやりたかった方向性もサードアルバム「惑星のかけら」に達成感を感じていた彼らは、もっとリスナーに聴いてもらえる音楽追求しようという気持ちにシフトします。そこで現れたのが、プロデューサーの笹路正徳です。彼が加わり最初にリリースしたシングルが「裸のままで」という曲でした。


スピッツ / 裸のままで

 ここから明らかにバンドっぽさより、ポップスらしさに重きを置くようになり、それは草野の詞曲と声とマッチする方向性でした。

 その次に「君が思い出になる前に」、笹路のスケジュールが合わず土方隆之がプロデュースした「空も飛べるはず」「青い車」、笹路が再び手がけた「スパイダー」と、今ではスピッツの代表作となっているクオリティの高い楽曲群がシングルとしてリリースされ、バンドはいつ売れてもおかしくない状況になっていたように思います。

 

 笹路はスピッツの武器は草野の歌詞と歌声だと考え、こうアドバイスしたそうです。

「マサムネは、ハイトーンに行ったときの声がいいんだから、それを活かさない手はないよ。高いキーで、もっと声を張って歌った方が、聴き手の心に響くと思うな」

 実は、草野さんは自分の高い声があまり好きではなく、レコーディングの際もボーカルの音量を小さくしていたのです。笹路さんは逆に、それこそ君の魅力なんだと説得。それから草野さんは積極的に、ハイトーンを意識した曲を書くようになったのです。

         (ニッポン放送 NEWS ON LINE 笹路正徳インタビューより)

 もうひとつ、「ロビンソン」のヒットの要因だと笹路がとらえているのが、イントロのギターのアルペジオ。これはバンドのギタリスト、三輪テツヤが自ら考えたものでした。 

(ちなみにこのギターをレコーディングしたのは26年前の今日、阪神・淡路大震災があった日で、報道を見て深く動揺しながらも、集中しようと気を取り直して演奏したそうです)

 

 確かに名曲、スタンダードと呼ばれる曲には印象的なイントロがあるものが多いです。

 史上最もTV、ラジオでオンエアされた曲と言われているポリスの「見つめていたい」もアンディー・サマーズのあのギターのイントロがなかったら、、、どうだったんだろう、などとも思いますし。

 

 草野は「ロビンソン」は「 今までとあまり変わらない。ニュートラルなスピッツな曲」だと語っていたわけですが、質のいい曲を続けてリリースして今度こそブレイクしそうだという”場”が十分にあたたまっていたときに、彼らの持ち味が最大限に発揮された曲が生まれたからこそ、売れたのかもしれません。草野の詞曲ボーカルはもちろん、ギターをはじめとする、メンバー全体としての持ち味が発揮されていたわけです。

 

 40以上あるというこの曲のカバーの中から、ちょっと異色なものを。

イギリスのグループ”ouch!”(アウチ)による英語カバー「It Could Have Been Me」。

「ロビンソン」のオリジナルリリースの翌年ですから、日本人アーティストを入れても

最初のカバーのひとつじゃないかと思います。発泡酒のTVCMにも使われました。

 実は、これは僕がレコード会社にいた時に前任者から、こういうの作ったからリリースよろしく!って引き継ぎされたものです。で、このPVをロンドンに行って一日中テムズ川の船に乗って撮りました。そして、これを録画していた人がいたんですね、YouTubeにアップされています。


Ouch! It Could Have Been Me

 
 
<参考:「スピッツ」rockin'on>
 

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「風をあつめて」はっぴいえんど(1971)

 おはようございます。

 今日は、はっぴいえんどの「風をあつめて」です。


【高音質】はっぴいえんど 風をあつめて

 

 僕が中学生の頃、細野晴臣YMO大瀧詠一は「A LONG VACATION」、松本隆は歌謡曲の作詞家、鈴木茂は編曲家として最初に認知してそういった作品から先に入ったので、さかのぼって「はっぴいえんど」の曲を聴いた時には、正直古臭く思えたものです。

 ロックにはじめて日本語の歌詞を載せるために、あえて古めかしい言葉を探し選んでいたなどとはつゆ知らず、ただただ歌詞もストレートに古臭いと思ったわけです。

 1980年代前半ですから、邦楽も洋楽志向全開で英語もどき(?)の歌詞が溢れていた時代ですからなおさらです。

 なのでしっかり聴いたのは、1990年代半ばくらいになってからでした。その頃は、はっぴいえんどといえば基本的に大瀧詠一の作った曲全般の評価が高くて、細野の作品では「風をあつめて」と「夏なんです」がよく名前があがっていたように記憶しています。

 そしてそれから、また20数年たったいまでは、「風をあつめて」がはっぴいえんどの最も有名な曲になっているようです。今もCMでカバーされていますし(窪田正孝)、サブスクのサイトを見ても、この曲だけ再生回数が抜きん出ています。

 

  「はっぴいえんどは細野さんのバンドだ」と大瀧が語っているのを読んだことがありますが、実際に細野がバッファロー・スプリングフィールドというバンドをキーワードに構想したものでした。そしてそれに最初に共鳴したのが松本隆小坂忠です。しかし、小坂忠はミュージカル「ヘアー」のオーディションに合格したため、そのプロジェクトから離れることになります。

 大瀧詠一は、細野とサイモン&ガーファンクルの「59番街橋の歌」の歌詞からとった”ランプポスト”という名前のフォーク・トリオを組んでいたことがありましたが、熱心なポップス・マニアであり当時はビー・ジーズやアソシエーションのファンだった大瀧を、細野は新バンドには誘っていませんでした。

 しかし、あるとき大瀧はバッファロー・スプリングフィールドを聴いていい曲だと思ったので、細野に「バッファローがわかった」と連絡を入れます。タイミングは小坂が離脱した直後という絶妙なタイミングだったようです。


Buffalo Springfield - For What It's Worth 1967

 この頃のことで、大瀧が亡くなった後に細野がラジオ番組で語ったエピソードがあります。

 大瀧がまだバッファロー・スプリングフィールドの良さをわかっていなかった時だったようですが、細野が欲しがっていた彼らの「ラスト・タイム・アラウンド」というアルバムを新宿のレコード屋(帝都無線)で見つけた彼は、細野の家に電話してレコード見つけて、他の人が買わないように俺が見張っているから早く来るようにと、言ったそうです。

 そして、細野が車で到着すると、本当に大瀧がずっと見張っていたといいます。そのとき大瀧本人にとっては全く興味のなかったレコードだったのに、です。

 僕を兄貴みたいに思っていてくれたんじゃないかなあ、とその番組で細野は語っています。

 また、細野が初めて大瀧と会う時に、彼を試すようにわざと自分の部屋にヤング・ブラッズの「ゲット・トゥゲザー」のシングルを置いておくと、大瀧が部屋に入って開口一番「おっゲット・トゥゲザー」だ、と言ったというエピソードもファンには大変有名です。

 日本のポップス史上における二大巨匠ともいういうべき二人の原点には、一枚のレコードがいかに特別なものなのか、という思いがあるということに、何かぐっとくるものを感じます。

 

 さて、話は戻しますが、はっぴえんど結成後オリジナル楽曲を作ることになり、そこで能力を発揮したのが大瀧のほうでした。

 

 大瀧は自分の好きなアメリカン・ポップスを封印し、バッファローのメンバーのスティーヴン・スティルスの曲や歌い方を研究していたそうです。

 

 バッファロー・スプリングフィールドはメンバー全員が曲を書けて歌えたので、はっぴいえんども作った人が歌うというルールを作っていました。

 しかし、細野は声が低く声域も狭い自分が歌うという制約の中で、それに見合ったものが作れなかったのです。しかも、作った曲もディレクターからダメ出しされたりと、すっかり引いてしまい、ファーストアルバム「はっぴいえんど」は大瀧の曲を核にして出来上がります。

 そのときに、細野の作品で彼の意向で収録を見送られた「手紙」という曲がありました。


Happy End - Tegami (Kaze wo Atsumete Rehearsal Take) [手紙 (「風をあつめて」リハーサル・テイク)] (1970)

 細野本人が「悩みの塊」、バンドっぽい声を出そうとして無理して、(声が)高いんだよ」と語っていますが、この曲の歌詞に「風をあつめて」というのが出てきます。

 細野はこう言っています。

「”風をあつめて”は、これは捨てられない言葉ですね。誰も考えたことがなかったですね」

 (NHK-BS『名盤ドキュメント はっぴいえんど「風街ろまん」(1971)~“日本語ロックの金字塔”はどう生まれたのか?~』)

 

 そして、松本は「風をあつめて」という言葉を生かし、新しく歌詞を書き下ろします。それを受け取った細野は

「説明なんかいらなかったですね。同じ風景を見ていた。東京の風が吹いている世界観というのは非常に音楽的に思いました」

 (NHK-BS『名盤ドキュメント はっぴいえんど「風街ろまん」(1971)~“日本語ロックの金字塔”はどう生まれたのか?~』)

 

 東京で生まれ育った細野と松本は、東京オリンピック(1964)にともなう大規模な都市開発によって、東京の懐かしい原風景を奪われてしまったという共通の経験を持っています。

 その記憶にだけにある街の風景をパノラマのようにたくさん集めると、ひとつの巨大な架空の街ができる、それを松本は「風街」と呼び、アルバム名を「風街ろまん」としました。

 そして「風街」を最も象徴する曲になったのが、この「風をあつめて」でした。

 

 しかしレコーディングの当日までメロディが書けなかった細野は、当日メンバーはドラマーの松本にだけ声をかけていました。

 そして、コード進行だけ決まっていたので、ドラムは松本、それ以外のパートは全部細野が演奏しました。そしてスタジオの廊下の”壁に向かって立膝でアコギを弾きながら”このメロディーを作り出したそうです。

 

 問題の歌唱について、彼はこういう解決方法を見出します。

 「そんな時にジェイムス・テイラーを聴いたんだ。聴きこんでゆくうちに、すごく波長があって、好きになった。考えてみると、音域とか歌いまわしとか、すごく似ているんだ。そうか、こういう歌い方があったのか、と気がついて、マネしてみた。そしたら、うまく歌えるようになった。2枚目のアルバム(風街ろまん)の直前で、やっと歌えるようになったわけ。それで、長いスランプを脱したんだ」

 (細野晴臣「レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす」)

 

 苦しんでやっと見つけた自分の歌唱方法に、しっくり見合うメロディが「風をあつめて」になったわけですね。

 

 「手紙」という曲と「風をあつめて」の大きな違いは、細野が歌い手としての自分の個性をつかんでいたかどうか、だったのかもしれません。

 

 そして、この曲をスタンダードにした大きな要因のひとつは、やはり「風をあつめて」という清新なフレーズでしょう。

 作詞した松本隆は「風をあつめて」という言葉についてこう語っています。

「”風に吹かれて”っていうとさ、すごく受け身になっちゃうじゃない?集めるっていうのはものすごく能動的なこと。もうこのまま空中を飛べるんじゃないかみたいな瞬間がふっとくる、とってもみんなが憧れていることじゃないかな」

 (NHK-BS『名盤ドキュメント はっぴいえんど「風街ろまん」(1971))

 

 ガツガツいくようなアグレッシヴさじゃなく、憧れるような能動というのは、ポップスというジャンルとは”相性ばっちりの理想の組み合わせ”だと僕は思います。

 

 

 (参考:「細野晴臣と彼らの時代」門間雄介)

 

 

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「オール・アイ・ワナ・ドゥ (All I Wanna Do) 」シェリル・クロウ(1993)

 おはようございます。

 今日はシェリル・クロウの「オール・アイ・ワナ・ドゥ」です。


All I Wanna Do

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Hit it   This ain't no disco
And it ain't no country club either
This is L.A.

All I want to do is have a little fun before I die
Says the man next to me out of nowhere
It's apropos of nothing he says his name is William
But I'm sure he's Bill or Billy or Mac or buddy

And he's plain ugly to me, and I wonder if he's ever
Had a day of fun in his whole life

We are drinking beer at noon on Tuesday
In the bar that faces the giant car wash
And the good people of the world
Are washing their cars on their lunch breaks
Hosing and scrubbing as best they can
In skirts and suits

And they drive their shiny Datsuns and Buicks
Back to the phone company, the record stores, too
Well, they're nothing like Billy and me

'Cause all I wanna do is have some fun
I got a feeling I'm not the only one
All I wanna do is have some fun
I got a feeling I'm not the only one
All I wanna do is have some fun
Until the sun comes up over
Santa Monica Boulevard

I like a good beer buzz, early in the morning
Billy likes to peal the labels from his bottles of bud
He shreds them on the bar then he lights up every match
In an over-sized pack letting each one burn
Down to his thick fingers before blowing and
Cursing them out, he's watching
The bottles of bud as they spin on the floor

And a happy couple enters the bar
Dangerously, close to one another
The bartender looks up from his want ads

But all I wanna do is have some fun
I got a feeling I'm not the only one
All I wanna do is have some fun
I got a feeling I'm not the only one
All I wanna do is have some fun
Until the sun comes up over
Santa Monica Boulevard

Otherwise the bar is ours, the day and the night
And the car wash, too
The matches and the buds, and the clean and dirty cars
The sun and the moon

But, all I wanna do is have some fun
I got a feeling I'm not the only one
All I wanna do is have some fun
I got a feeling I'm not the only one
All I wanna do is have some fun
I got a feeling the party has just begun
All I wanna do is have some fun
I won't tell you that you're the only one
All I wanna do is have some fun
Until the sun comes up over
Santa Monica Boulevard
Until the sun comes up over
Santa Monica Boulevard

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”(演奏)はじめるよ、

ここはディスコでもなく、カントリークラブでもない LAなの

 

死んじまう前にちょっと楽しみたいだけなんだよ、って

どこからともなく聞こえて来て、見たら隣に座った男が言ってた

それは出し抜けで、男は名前はウィリアムだと言ったけど

私はビルかビリーかマックかバディに間違いないと思う

 

 私には彼は全く不細工にしか見えなくて

今までの人生で楽しかった日が1日でもあったのかしらって思っちゃった

 

私たちは火曜日の昼間っから 

馬鹿でかい洗車場の向かいのバーでビールを飲んでいる

世の善良な人々は昼休みに自分たちの車を洗っている

スカートやスーツ姿で

ホースで水をかけながらゴシゴシと精一杯磨いている

 

そして彼らはピッカピカのダットサンビュイックに乗って

電話会社やレコード店に戻ってゆくの

まあ、彼らはビリーや私とは違うのよ

 

だって、私はただ楽しみたいだけ

そう思うのは私一人じゃないはず

私はただ楽しみたいだけ

そう思うのは私一人じゃないはず

私はただ楽しみたいだけ

サンタモニカ通りの上に太陽がのぼるまで

 

私は朝っぱらからビールでワイワイ盛り上がるのが好き

ビリーはバドワイザーの瓶のラベルを剥がすのが好きだ

それをカウンターの上で細かくちぎって

大きな箱からマッチを出し次々に火をつけて

吹き消す前に彼の太い指で燃やしつくして、悪態をつくの

そして、床でバドワイザーの瓶がくるくる回るのを眺める

 

すると幸せそうなカップルがバーに入ってきて

危ないくらい、くっつきあっている

バーテンダーは求人広告から目をあげる

 

だって、私はただ楽しみたいだけ

そう思うのは私一人じゃないはず

私はただ楽しみたいだけ

そう思うのは私一人じゃないはず

私はただ楽しみたいだけ

サンタモニカ通りの上に太陽がのぼるまで

 

そうじゃなければ バーは私たちのもの

昼も夜も、洗車場もそう、マッチもバドワイザー

キレイな車も汚い車も 太陽も月も

 

だって、私はただ楽しみたいだけ

そう思うのは私一人じゃないはず

私はただ楽しみたいだけ

そう思うのは私一人じゃないはず

私はただ楽しみたいだけ

サンタモニカ通りの上に太陽がのぼるまで  ”   (拙訳)

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 アメリミズーリ州出身のシェリル・クロウは大学卒業後、音楽教師をやりながら週末バンドで歌い、マクドナルドやトヨタなどの広告のジングルを歌う仕事をしていたそうです。

 

 その後、音楽の夢を追うためにカリフォルニアに移住し、バックコーラスの仕事につきます。有名なのはマイケル・ジャクソンの”BAD”ツアー。他にスティーヴィー・ワンダーやベリンダ・カーライルなどのバックも務めていたようです。

 

 ソロ・デビューの話もあったようですが途中で頓挫し、ようやくその夢をつかんだのが、カリフォルニアに来てから7年もたった1993年、彼女は31歳になっていました。

 

 デビュー・アルバム「チューズデイ・ミュージック・クラブ」は最初は売れませんでしたが、3枚目のシングルであるこの「オール・アイ・ワナ・ドゥ」じわじわと売れていき、最終的にはアルバムは全米2位、グラミー賞の最優秀レコード賞を取るまでの大ヒットになりました。

 

 この曲の歌詞は、ウィン・クーパーの「Fun」という詩がもとになっています。彼女のプロデューサーであるビル・ボットレルが一役買っていたようです。

 

 ボットレルは、楽曲の共同制作者としてマイケル・ジャクソンから大変信頼されていたエンジニア、プロデューサーです。

 

「レコードプロデューサーのビル・ボットレルはパサデナ古書店クリフズに立ち寄り、 「The Country of Here Below」 500部のうちの一冊を含む多くの詩集を手にした。彼はそれを、毎週出席していた”Tuesday Night Music Club”という非公式のミーティングに持ち込んだ。メンバーの一人、シェリル・クロウというシンガーソングライターが 「I Still Love You」 という曲を書いていた。彼女はその音楽が好きだったが、歌詞には不満だった。ボットレルは彼女にウィンの詩を見せると、ガツンときた、そんな感じで、アメリカの詩人はメインストリームへの大きな一歩を踏み出したのだ」

 (Los Angels Times DEC. 4, 1994)

 

 この曲の入っていたアルバム「Tuesday Night Music Club」とはシェリルのアルバム制作のための会合の名前だったんですね。

 ボットレルは歌詞に煮詰まっていたシェリルから詩集を探してくれと言われていたようです。

 

 

 シェリルはこう語っています。

「スタジオでジャムをしているときに、ふと本を手にとってその中にあるこの詩を読んだの。最初の一行が”all I wanna do is have some fun”。それはLAで起こっていることを要約していたわ、無気力と敗北感の極端な感情を表現していたのよ。軽快でポップな流行歌の仮面をかぶっているけど、ほんとうは打ちひしがれて、バーに座って人生が過ぎ去っていくのを見ている誰かのことを描いているの」

 

「詩人のウィン・クーパーにコンタクトを取ったら本当に喜んでくれたわ。歌の主人公が私が簡単に扮することができるものだったから、売りやすかったわ。私の人生もたくさんのお酒や、深夜のバーがつきものだったからね。でも、この曲は捨てられるところで、アルバムにも入らないところだったの。でも私の弟が”これはビッグヒットになる”って。フォルモサには実際に洗車場の前にバーがあるの。だけど、私はそこで朝からビールを飲んだことはないわ」

                        (Blender2006年12月号)

 

 ウィン・クーパーは大学で詩を教えながら、自分の詩集を地道に発表していたまったく無名の存在でした。

 ちなみに「FUN」という詩はこういう感じで始まります

 

“All I want is to have a little fun
Before I die,” says the man next to me
Out of nowhere, apropos of nothing. He says
His name’s William but I’m sure he’s Bill
Or Billy, Mac or Buddy; he’s plain ugly to me,
And I wonder if he’s ever had fun in his life.

 

We are drinking beer at noon on Tuesday,
In a bar that faces a giant car wash.
The good people of the world are washing their cars
On their lunch hours, hosing and scrubbing
As best they can in skirts and suits...

 

 「オール・アイ・ワナ・ドゥ」の歌詞はほぼ「FUN」なんです。

 それを歌にはまりやすく調整したという感じなんですね。

 ということで、曲の作者としてもクレジットされたウィン・クーパーは相当な額の印税を手にし、1987年にはたったの500部しか売れなかったという「FUN」の入った詩集も何度も重版されるロングセラーになったようです。

 

 どんなきっかけが成功に繋がるのか、本当にわからないものですね。シェリルだけじゃなくクーパーさんの人生も変わってしまったわけですから。

 

「オール・アイ・ワナ・ドゥ」収録のデビュー・アルバム。全米チャート3位、450万枚を売り上げている

 

 全米最高2位、300万枚を売り上げたベスト・アルバム

 

ビル・ボットレルがマイケル・ジャクソンと共作、共同プロデュースした大ヒット曲

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